「中国の権力者がとんでもないのはよくわかっているし、釣魚島(尖閣諸島)の問題だって歴史的経緯を見れば日本側の言い分もわかる。でも今の日本政府の対応を見ているとすごく心配だ。自分たちが正しければ、最後には勝って物事が解決すると思っているのだろうか? 世の中は正しい方が勝つとは限らないのは当たり前だろ? そこも考えて判断するのが政治じゃないのか。本当に心配だ」

 そして3人目は、中国政府の役人ではないが、日本で言えば政府の外郭団体のようなところで働いている友人である。彼は北京在住で普段あまり会う機会はないが、先日ある会合で久しぶりに会った。

 いわく「日本政府の対応は不思議だ。何を考えているのか全くわからない。だって過去20年ぐらいの世界の流れや経済情勢などを見ていたら、中国と日本の国力や世界的な影響力の差が今後ますます開いていくのは明らかだろう。それなのにどうしてわざわざ中国を敵に回すようなことをするのか。この先それでやっていけると思っているのだろうか。どうにも不思議だ」。

「正しいか」ではなく「力関係」

 日本国内では尖閣諸島の問題を議論するとき、常に主要な論点になるのは「日本の領有権がいかに正当なものであるか」である。論理的な根拠が最重要で、その当然の帰結として、「中国の主張がいかに不当なものであるか」が問題にされる。そこでカギになるのは「どちらが正しいか」であり、これが当然の議論の筋道であると考えている。「どっちが強いか」「仮にケンカして勝てるかどうか」が正面切って議論されることは少ない。

 しかし上述した3人の中国人の話は、いずれも「正しさ」という観点に立っていない。共通しているのは「どちらが正しいか」ではなく、「力関係でどちらが上か」という情勢判断であり、そして「どのように行動したら利益があるか(損をしないか)」という視点だ。

 そこでは「論理的根拠」の正当性にほとんど関心が払われていない。この問題に関して中国国内でいろんな人の話を聞いたが、専門家は別として一般市民から「中国の方が正しい」という主張を聞いた記憶がない。

 過去にも書いたように、中国人は「あるべきか、どうか」の議論以前に、「現実にあるのか、ないのか」「どれだけあるのか」という「量」を重視する傾向が強い。「量」とは大きさや重さ、多さ、高さを測る言葉だが、それは「強さ」とイコールであることが現実には多い。大きいものは強い。多い方が強い。突き詰めればそれが世の中の相場である。そして、「量」を判断の基本に置くということは「現実に、目の前の相手より、自分は強いのか、弱いのか」を常に意識しながら生きていく――ということでもある。

 つまり日本人は何事につけても「スジ(べき論)」を掲げて、「正しさ」を武器に勝負しようとするのを好むのに対して、中国人は「量=現実的影響の大小」、ここで言えば「どちらが大きくて、強いか、力が上か」に対する状況判断を元に行動を決める傾向が強い。

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