オーストラリア準備銀のフィリップ・ロウ総裁。2024年までは利上げを見込まないという(写真:AP/アフロ)
オーストラリア準備銀行(RBA)のフィリップ・ロウ総裁は2月5日、半期に一度の議会証言をした。新型コロナウイルス感染拡大を一定範囲内にとどめているオーストラリアでは、景気回復がRBAの想定よりも順調に進んでいる。ロウ総裁は「豪州の景気悪化は恐れていたほど深刻でなく、回復は早めに始まり、予想以上に力強い」と証言した。だが、「まだ先は長いという事実に変わりはない」とも述べた。物価が弱いからである。
インフレ率が同国の目標圏であるプラス2~3%に到達するまで、極めて大規模な金融緩和が維持される必要があると、ロウ総裁は説明。失業率低下・賃金上昇を促すために「合理的にできることは全部する」とし、2024年まで利上げを見込んでいないとも述べた。
RBAが公表した金融政策報告は、最も楽観的なシナリオでも基調インフレ率は23年半ばまで2%を下回って推移すると予測している。2日の理事会でRBAは、政策金利を過去最低の0.1%に据え置きつつ、量的緩和を延長して実施することを決定した。
このエピソードは、内外金利市場の今後の動きを考える上で、示唆に富む。
各国の中央銀行が物価目標の達成(インフレ率の押し上げ)に今のように強い関心を抱くようになる前は、「景気回復の兆候が増加→利上げを織り込んで市場金利上昇」というのが、お決まりのパターンだった。マスコミの記事の中にも、そうした古くからの手順を安易に頭に置いて書いているものが散見される。
中銀は金融緩和の長期化にコミット
だが各国の中央銀行は、低インフレ環境が構造的に続きやすいことを念頭に置きつつ、金融緩和を長期化させることにコミットしている。
その理由は、強力な金融緩和の長期化を通じて、①雇用情勢の改善を国内の隅々まで行きわたらせる(それが所得格差の縮小につながるという期待感もある)とともに、②物価上昇率を目標に設定した水準以上へと持ち上げて、そうした目標さらには中央銀行自身の信認を保とうともくろんでいるからである。
これらのうち①については、労働経済の専門家であり、米財務長官に先日就任したイエレン氏が米連邦準備理事会(FRB)議長時代からその必要性を折に触れて強調していた点であり、バイデン大統領の考え方に沿っている。
パウエル氏は「最大雇用」に向け強い決意表明
そして、現任のパウエルFRB議長も、路線は同じである。2月10日にニューヨーク経済クラブで、オンライン形式の講演に登壇した同議長は、米1月雇用統計で通常の失業率(U-3)が6.3%に低下したものの、「恩恵が広く共有されるような力強い労働市場からは、なお非常に遠い状態にある」と指摘。
フルタイム就業の意志と用意があるが経済情勢ゆえにパートタイムの仕事にとりあえず就いている人などを加えた広義の失業率(U-6)が10%を超えていることを指摘しつつ、FRBが課されている2つの責務、すなわち「物価安定」と「最大雇用」のうち後者の達成に向け、あらゆる措置を講じる強い決意であると述べた。
緩和長期化の結果、景気が過熱してもかまわない(というより物価上昇が相応に加速してくれるならその方が望ましい)わけであり、かつてのようにインフレ率上振れを警戒して予防的に金融引き締めに動くというようなコンセプトは、今回は存在していない。
欧州中央銀行(ECB)のラガルド総裁は2月10日のインタビューで、「インフレを心配するようになるまでには、しばらく時間がかかるだろう」と言い切った。
ECBはその責務である「物価安定」目標を、統合ベースの消費者物価指数(HICP)上昇率で2%未満ではあるが、2%に近い水準、と規定している。今年前半に結論が出されるとみられる戦略見直しの議論を経て、ECBは米国のような2%ピンポイントのインフレ目標を導入した上で、これまで物価の下振れが長く続いてきたことの埋め合わせとして、この先は物価の上振れを一定程度まで容認する姿勢に切り替えると見込まれる。
もう1点、付け加えて言うと、上記のような金融政策の運営方針は、たとえ株式など資産価格のバブルが膨らんできても、基本的には動かない。
パウエルFRB議長は1月27日の記者会見で、高騰が続く米国の株価について、そうした水準を事実上容認する発言を行っている(当コラム2月9日配信「『戦時下だから借金累増OK』『株高も黙認』の中央銀行」ご参照)。
金融システムの安定維持に向けた中央銀行としての対応は、マクロプルーデンス政策で行うという切り分けがなされ、政策金利操作といった金融政策の「本線」は割り当てられない、要するに「バブル潰し」のために利上げを行うようなことはしない、ということである。
なお、日本では日銀が、米欧の中央銀行よりも金融緩和手法の面で大きく踏み込んでおり、過去10年間にわたって上場投資信託(ETF)の買い入れをしており、1月末時点でその残高(簿価)は35兆円を超えている。
株式市場への悪影響を考えると売り戻しができないので、「一方通行」の巨額の買い入れになってしまっており、日本株の需給・相場形成にゆがみをもたらしたり、企業のガバナンスに悪影響を及ぼしたりしていると、市場では考えられている。
問われる中銀の「手綱さばき」
しかし、日銀としては、今になって急に、この金融緩和手法を自分から否定的にとらえるわけにもいかない。日立製作所で経営に参画した後、昨年7月から審議委員として日銀政策委員会に加わった中村豊明氏は、2月10日の記者会見で、「日銀が株価を支えているという認識ではない。官製相場とも思ってはいない」と明言した上で、日本の企業は「リーマン・ショック」後に事業構造改革を進めて、収益力が高まってきたことが市場で評価されていると述べていた。
話を金利に戻すと、上記のような中央銀行の新しい考えに沿って、金利マーケットがずっと「おとなしくしている」とは限らない。むしろ、暴れ出す可能性が高いと言える。
世界的に金利水準が低くなってしまい、金利がさらに低下していく余地は物理的に限られている。どうしても値動きが停滞しがちな中で、「大きく動くことのできる材料」を債券市場は潜在的に渇望していると言える。市場参加者の一部が、「景気回復の匂いがするなら早期利上げを織り込む」というような伝統的思考に沿って売買したり、「針小棒大」的に材料を解釈したりして、相場を動かそうとする場面も出てくるだろう。
そうした場面では、各国の中央銀行パーソンによる、時期尚早の金利上昇を抑え込む方向でのメッセージ発信といった感じの、一種の「手綱さばき」の巧拙が問われてくるように思う。
なお、実質長期金利が低いから多少名目金利が上がっても大丈夫だというような議論は、筆者の考えでは危うい。米株高が演出した「リスクオン」状況下での原油先物の高騰により、市場ベースの期待インフレ率を持ち上がった結果として出てきている数字が、10年債で1%前後になっている実質金利マイナスの主因であり、これはいわば「水物」である。
金利上昇の余地を探る動きは、すでに複数回見られている。
米国では量的緩和としてFRBが資産買い入れを実施しており、金融緩和は毎月強化されている。現在の月間買い入れペース(FRB保有残高の増加ペース)は、国債が最低800億ドル、住宅ローン担保証券(MBS)が最低400億ドルであり、「最大雇用および物価安定という目標に向けてさらなる著しい進展があるまで」というフォワードガイダンス(将来の金融政策運営に関する指針)が付加されている。
今年1月、買い入れ停止に向けて上記のペースを徐々に落としていくプロセス(テーパリング)が年内にも開始されるのではないかという先走った思惑が、複数の地区連邦準備銀行(地区連銀)総裁による発言などを手掛かりにしながら市場の一部で広がり、米国債利回りが長期・超長期ゾーンで上昇余地を探る場面があった。
「テーパリングの議論は時期尚早」
これに対しパウエル議長は1月27日、FRBの目標達成までにはまだかなりの距離があることを強調しつつ、テーパリングの議論は時期尚早とした。
また、次期FRB議長候補の1人とされるデイリー・サンフランシスコ地区連銀総裁(今年の連邦公開市場委員会<FOMC>で投票権を保有している)は、2月11日に配信された米紙ウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューで、「政策は差し当たり適切な状況にある」とした上で、自らの見通しに基づけば「年末まで現行ペースでの(資産)買い入れを続けることになるだろう」と述べた。よりダイレクトな「火消し」の試みである。
ところが、それから間もない2月12日の取引で、米30年債利回りが2%ラインをわずかに超え、10年債利回りが1.21%まで上昇するという動きがあった。16日にはこれらの利回りはさらに上昇した。
中央銀行と「動きたがる債券市場」の駆け引きは、これからも続いていく。そしてその成り行きは、「官製バブル」色の濃い世界的な株価高騰がこの先どうなるかにも、陰に陽に影響してくる。
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