全3368文字
忖度(そんたく)の温床がなくなる?(写真:PIXTA)

 新型コロナウイルス感染拡大がもたらした危機は、有効なワクチンが開発されて普及し、抗体を有する人が60%以上という集団免疫の状態にならなければ、本当の意味で終わったとは言えないだろう。ウイルス感染への根強い警戒感から、人々の行動様式は「コロナ前」とは違ったものにならざるを得ない。「新しい生活様式」を政府は提唱しており、緊急事態宣言が解除された後も一定の警戒姿勢を維持するよう促している。

 「コロナ後」、あるいはコロナウイルスとの共存を意味する「ウィズコロナ」の世界で、日本の社会はどう変容していくのだろうか。

 先日、立命館アジア太平洋大学の出口治明学長のインタビュー記事がFNNプライムオンラインに掲載され、そうした点も取り上げられていた。筆者も以前にお世話になったことがある、日本を代表する知識人の一人である。

 出口学長は、コロナ後の日常は短期的にはびっくりするほど元に戻るものの、中長期的には大きく変わるだろうという見解である。社会のITリテラシーは上がり、政治に対する関心が高まるなど、かなりいい社会になるのではないかという。

 そして、そうした中で「多分一番ダメージを受けるのは、ITリテラシーが低く『飲みニケーション』が大好きなおじさん」「ともかく部下を集めて説教するのが大好きなおじさんは、淘汰されるでしょうね」「今、飲み会はインターネットでたくさん行われているでしょう。でも上司と飲み会やりますか?」「付き合い残業とかおじさんが大好きな飲みニケーションは、中長期的には廃れていきます」と、出口学長は繰り返し述べていた。

 お酒の「飲み」と「コミュニケーション」の合成語である「飲みニケーション」という言葉やコンセプトは、若者のアルコール離れや働き方改革など時代の流れを背景に、すっかり廃れたものと筆者は思っていたのだが、友人などに聞いてみると、会社によってはそうした慣習がまだ根強く残っているようである。

「飲みニケーション」のルーツは室町時代

 興味を抱いたので、少し調べてみた。「飲みニケーション」という言葉が主なマスコミに全国ベースで初めて登場したのは、1982年夏。日経産業新聞が「ノミニケーションでQC」という記事で、サッポロビールの北関東工場で夏場に月2回開催される、工場の従業員全員が参加する「ノミ(飲み)ニケーション」というビール・パーティー兼懇親会を紹介したのが最初のようである。ビール(おそらく自社製品だろう)を飲みながら工程の改善手法などを議論する機会になり、仕事場に活気をもたらしたという。

 歴史を遡ってみると、こうしたお酒を飲みながらコミュニケーションを図る行動パターンが盛んになったのは、室町時代からだという。歴史学者の呉座勇一氏(数年前に著書『応仁の乱』がベストセラーになったことをご記憶の方も多いだろう)によると、この時代には毎晩のように供宴が催され、一度の宴会における飲酒量が前の時代から格段に増えた。

 そして、戦国時代に日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、ヨーロッパ人と異なり日本人は酒をしつこくすすめ合い、酔っぱらうことを恥辱でなく名誉と考える、と記したとされる(2014年10月11日付朝日新聞「中世の宴会 飲みニケーションの始まり」)。

 今でも、欧米から日本に来た人が驚かされるのは、お酒に関する日本人の意識が彼らのスタンダードとは大きく異なる(端的に言えば非常識な)ことだという。宴会などの場で泥酔するビジネスパーソンは、理性で自己を抑制できないのだから失格だと見なすのが欧米流である。勤務時間の延長線上的に行われる飲み会も、彼らには理解しにくい。