全弾撃ち尽くした「黒田日銀」の後を追う欧米(写真:ロイター/アフロ)
欧米の中央銀行の金融政策は、日銀の後を追う形で、「全弾撃ち尽くし」「もはや手詰まり」になったことを遅かれ早かれ露呈し、確たる勝算がないまま粘り強く金融緩和を続ける「持久戦」的な状況に移行するだろう。その結果、市場金利は内外で非常に低い水準が常態化するだろう。このコラムでもたびたび触れてきた、筆者の見方である。今回は、最近あったいくつかの出来事を引き合いに出しつつ、説明を加えたい。
8月7日にニュージーランド、インド、タイの3か国がアグレッシブな利下げで世界の投資家を驚かせたことを報じた翌8日の米経済紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の記事には、海外のエコノミストによる以下のコメントが含まれていた。
「多くの中央銀行では、かなり限られた弾薬しか手元に残されていないので、それを非常に賢く使おうとする」
「中央銀行は選ぶことができる。緊急時に備えて火力を温存しておくのか。それとも、より大きな効果のために早めに行動するのか」
市場予想よりも大きな幅で(ニュージーランドおよびインド)、あるいは市場予想よりも早いタイミング(タイ)で、8月7日に利下げに動いた3つの中央銀行は、2つめの選択肢に沿って動いたのだと、このエコノミストは説明した。
その後、8月15日にはレーン・フィンランド中央銀行総裁の発言が伝わり、ドイツの10年物国債利回りが▲0.7%台に沈むなど、ユーロ圏の国債を買う動きに弾みをつける材料になった。ECB(欧州中央銀行)が動くのは恐らく9月だが、このケースも、上記に当てはめれば2つ目の選択肢を志向したものだと言える。
次期ECB総裁候補として市場で名前が挙がったこともあるレーン総裁はWSJのインタビューで、「インパクトのある重大な(impactful and significant)政策パッケージを9月に打ち出すことが重要だ」「金融市場と関わり合うときはしばしば、アンダーシュートするよりもオーバーシュートする方が望ましい。そして、非常に強い政策手段のパッケージの方が、いじくり回すよりも望ましい」と発言した。
株式の購入を排除しなかったフィンランド中銀総裁
市場はこの発言があった時点で、9月のECB理事会における利下げ(マイナス金利幅拡大)を確実視していたわけだが、レーン総裁はそれよりも積極的な金融緩和を事実上提唱した形である。量的緩和(QE)の再開、マイナス金利による負担軽減のための階層構造の導入などがあり得るとした同総裁は、QEを再開する際に株式を購入の対象に新たに含めることさえ排除しなかった。
市場の予想よりも大胆に動くことによって、市場に大きなインパクトを与え、「小出し」に利下げする場合よりも市場金利の低下幅や株価の上昇幅を大きなものにして、金融市場を通じた緩和効果を最大限に発揮させようとする。政策運営の手法として一つの考え方であり、短期的には中銀の思惑通りに話がうまく運ぶ場合もあるだろう。
しかし、「黒田バズーカ」で弾薬を大量に使い過ぎて結果的に失敗した日銀の現在の苦境に鑑みると、市場にサプライズを与える作戦が最終的にうまくいくとは、筆者には思えない。以下の諸点に考えを及ばせておく必要がある。
(1)市場にサプライズを与えるため、中銀が早めに、より多く追加緩和の余地を使ってしまうわけであり、その結果、弾薬庫が空っぽになる時期は当然前倒しになる。結局は「短期決戦」に失敗した黒田日銀の轍(てつ)を踏むことにならないか。
(2)サプライズに持続性はなく、市場には「慣れてしまう」性質がある。上記のレーン総裁発言は、その意味でリスキーである。事前に大胆な緩和パッケージを市場が織り込んでしまえば、サプライズにならない。むしろ、言わなかった方がよかったのかもしれない。仮に、QE再開を含む大胆な緩和措置を実行するという点でECB理事会内の意見がまとまらず、9月の理事会の結果が「小粒」の緩和にとどまったとみなされると、失望感から市場が大きく崩れる恐れがある。
金融当局経験者も「手詰まり」感を指摘
途中経過で各中銀がどのようにマネージしようとも、結局は策が尽きて「手詰まり」に陥り、持久戦的な状況に移行するだろうというのが、筆者の大枠としての予想である。
次に、政策当事者経験のある米英の論客から出てきた発言を取り上げたい。金融政策はその限界を露呈しており、単独で行動する場合には中央銀行はもはや重要ではない、という主張である。
米通信社ブルームバーグは8月23日、「サマーズ氏、中銀当局者は『ブラックホール』的な政策課題に直面」と題した記事を配信した。
ローレンス・サマーズ元米財務長官(米ハーバード大教授)は各国中銀首脳に対し、当局は、金利の小幅な変更あるいはもっと積極的な戦略ですらも、需要不足の問題をほとんど解決することができないような「ブラックホール的な金融経済」情勢に直面していると警告。「欧州や日本について現在市場が確信を持って予想しているのは、金利がゼロに張りつきそこを脱する現実的な見通しが立たず、本質的に利回りは数十年にわたってゼロまたはマイナスという状況だ」「米国はたった1回リセッション(景気後退)に陥るだけで、彼らの仲間入りをする」と、サマーズ氏はSNS(交流サイト)に書き込んだ。
利下げは金融バブルを発生させたり、貯蓄率を押し上げたり、ゾンビ企業を生きながらえさせるなどの結果をもたらし得るため、「たとえ実行可能であっても、総需要喚起にせいぜい弱い効果を発揮するだけで、最悪の場合には逆効果となる」のだという。
英経済紙フィナンシャル・タイムズは8月24・25日付に、アデア・ターナー元英FSA(金融サービス機構)長官による寄稿「中央銀行はその影響力の多くを失ってしまった(Central banks have lost much of their clout)」を掲載した。
ジャクソンホール会合開催もあって中央銀行の金融政策に注目が集まっているものの、「現実には中央銀行が単独で行えることは、もはやあまり重要ではない」。低金利が為替相場を下落させるなら景気刺激効果があるものの、それは「ゼロサムゲーム」で、どのような為替相場も両方の経済を刺激することはないと、ターナー氏は指摘する。
中央銀行は、「何らかの洗練された知恵が最終的に有効なのではないか」という希望にしがみついているものの、グローバルな経済成長の大きな原動力はすでに、大規模な財政赤字と何らかの形態の金融政策によるファイナンスになってしまっている現実に目を向けるよう促した。
サマーズ氏は「長期停滞論」を唱えており、上記の主張の大筋に違和感はない。とはいえ、グリーンスパン元米FRB(連邦準備理事会)議長に続いて、政策当局経験のある「大物」が、米国の金利が「ゼロかマイナス」に容易に陥るだろうと見通したことは、特筆すべきことだろう(当コラム8月20日配信「近づく『米国でさえプラス金利がない世界』」ご参照)。
ターナー氏は日本に対し、日銀による直接の財政ファイナンス(「ヘリコプターマネー」)を何度も提言してきたことで、よく知られている人物である。そのターナー氏の今回の寄稿では、最も大きな危険に現在直面しているのはユーロ圏だとはっきり指摘した点が特徴と言える。
金利の下げ余地が米国よりも乏しい状況下、グローバルな需要とユーロ圏からの輸出の停滞が続く。ハードライナー(財政強硬派)が、中央銀行による国債買い入れを伴う財政支出増加を今後も妨げるようだと、ECBの政策はユーロ圏の成長に対して、取るに足りない違いしか与えることができないだろうという。寄稿の最後にあらためて記された、ターナー氏の主張が集約された文章は、「単独で行動する場合、中央銀行家たちはもはやさほど重要ではない」という、非常に厳しいものである。
日銀だけでなく欧米中銀でも、金融政策は「手詰まり」に陥りつつある。財政とのコラボに存在意義を見いだすケースもあるだろうが、その場合、長期金利は中央銀行による国債大量購入などによって、低水準に抑え込まれざるを得ない(債券市場の機能は当然のことながら大きく低下する)。現在はそうした「ニューノーマル」に向かう途中段階だと、筆者は考えている。大規模で実験的な日銀の金融緩和は、「無謀で異端の政策行動」ではなく、最近では欧米にとっての「テキストブック」になりつつあるように見える。
先進国の中央銀行の金融政策で、短期金利が「ゼロ制約」に直面した後に考案されたブレイクスルー的な手法は、①長期金利の押し下げ(信用スプレッドの圧縮を含む)、②マイナス金利の導入、③フォワードガイダンスによる将来の緩和効果先取りなどである。
国債直接引き受けは回避されているが……
伝統的な金融政策のテリトリーである「短期金利の世界」から外に踏み出して、さまざまな施策が試みられてきている。財政政策と金融政策の完全なコラボとでも言えそうな国債の直接引き受けは、日米欧いずれでも今のところ回避されている。
仮にそれが実行されるとしても、財政面からの景気刺激効果は、時間がたてば消えてしまう人為的で一過性のものであることを忘れてはならない。効果が消えてしまうと「断層」が生じて、景気は悪化してしまうだろう。「魔法の杖」のような政策手段は存在しない。
では、金融政策が「手詰まり」に陥った後、中銀は何ができるのか。あるいは何をしようとする可能性があるのか。粘り強く「持久戦」態勢を取るというのが基本線になるわけだが、それに加えて「もうないものをまだあるように見せようとする」「偽薬効果に期待する」といった辺りが、筆者には思い浮かぶ。
鹿児島で行われた8月1日の記者会見で、雨宮正佳日銀副総裁から以下の発言があった(日銀ホームページから引用)。
「手段や回数を一つひとつ数え上げるということはなかなかできませんが、私どもの政策手段としては、先程ご質問のあったような短期金利の引き下げもありますが、それ以外に長期金利の誘導目標の引き下げもありますし、資産の買い入れの増加もあります。あるいはマネタリーベースの拡大テンポの再加速といった手段もあります。これらを単独で利用することもあれば、組み合わせることもあれば、応用することもありますので、その意味で金融政策の追加的な手段が尽きているとか、非常に乏しくなっているということではないと思っています」
利下げ余地が2%ほどあるFRBや、マイナス金利深掘りや量的緩和再開を含む緩和パッケージを打ち出すことを検討しているECBに比べると、日銀が有する追加緩和カードの乏しさは明らかである。だが、「追加緩和カードはほぼ払底しました」と日銀が公に認めてしまうと、市場にサプライズになり、円高が急進行する恐れが大きい。
だから、雨宮副総裁を含む日銀幹部は、口が裂けても追加緩和カードが「尽きた」とは言わないだろう。「非常に乏しくなっているということではない」という雨宮副総裁の言い回しは、カードが「乏しい」こと自体は基本的に認めているわけで、ある意味正直ではある。
ほかにも何かないだろうかと考えていたところ、8月25日の産経新聞に、『僕は偽薬を売ることにした』というタイトルの本を書いた水口直樹氏のインタビューが掲載されていた。著者は京都大学大学院薬学研究科を修了し、製薬会社で研究開発職として勤務した後、偽薬(プラセボ)を売る会社を設立した。ポイントになる部分は以下の通りである。
「偽薬はあくまで食品」だが……
「売っている偽薬は、見た目は薬だが、有効成分が入っていない『食品』だ。この偽薬は、介護施設で薬を何度も求める認知症などの高齢者に本物の薬の代わりとして渡す、というようにして使われている。高齢者が精神的に落ち着くのと、有効成分が入っていないので飲んでも副作用の心配がないためだ」
「偽薬には、飲むことで症状に何らかの改善がみられる『プラセボ(偽薬)効果』があることが知られている。プラセボ効果を得るには偽薬を本物と思わせる必要があるとされ、患者へのインフォームドコンセント(説明と同意)が求められる医療の場で使うのは難しい。それが最近、過敏性大腸炎やうつなどで偽薬と知って飲んでも症状の改善がみられるとの研究結果が報告され、医療の場でも使える可能性が出てきた」
「医薬品に比べ価格が安い偽薬を医療の場で使うことができれば医療費の抑制になる」
食品だから、服用することによる副作用や弊害はない。効能があると患者が思い込めば、病状が改善するかもしれない。
こうした「偽薬」のような、実態として「毒にも薬にもならない」金融政策手段を日米欧の中央銀行は編み出して、金融政策の「道具箱」に今後入れようとしていくのではないか。ややシニカルな見方だが、筆者はそのようにも考えている。
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