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 筆者は先月休暇を取り、ミャンマーなどを旅した。当コラムも休載したわけだが、現地で触れた情報をもとに、「映画」と「インフラ投資」という、2つのテーマについて書こうと思う。

 超実写版(3DCG)ともいわれるディズニー映画「ライオン・キング」は、北米での興行収入が堅調に推移している。バラエティー・ドット・コムによると7月28日時点で2週連続首位。日本では公開が8月9日と遅く設定されているが、ベトナムやミャンマーでは既に公開されており、筆者もミャンマーの最大都市ヤンゴンの映画館で7月23日に楽しんだ。大きな映画館での3D上映で、料金は5000チャット(約360円)という安さである。

ヤンゴンで「ライオン・キング」を観たショッピングセンター最上階の映画館

 興味深かったのは、映画の本編が始まる前に、国旗と国歌に敬意を表しましょうという内容の字幕がミャンマー語と英語で流れた後、観客は全員起立して国旗の映像を見ながら国歌を聴いたことである。映画は字幕なしでの上映で、おそらくセリフの意味を十分聞き取れない同行者向けにミャンマー語で話す声が、あちこちから聞こえていた。

 曲も含めて評価が非常に高かったアニメ版と比べてしまうためか、事前に読んだ英字紙掲載のこの映画の批評には、好意的でないものもあった。勧善懲悪が貫かれたストーリー+美しい映像・音楽が備わった感動的な映画というのが、筆者の直後の素直な感想だったのだが、同時に何かもやもやした感じをぬぐえなかった。

ナマの俳優はもう要らない?

 野生動物が会話する映像の出来栄えがあまりに高度で、このまま技術が進歩し続けると、ナマの俳優(や動物)が演技しなくてもどのような映像でも作ることが可能になり、アカデミー賞のうち俳優の演技に贈られる賞などは価値がぐらつくのではないかといった思いである。

 筆者が抱いたそうした危惧の念をさらに拡大して、映像技術の進歩が政治などにこの先及ぼし得る悪影響まで思考を及ばせたのが、米紙ワシントン・ポストによるこの映画の批評「ライオン・キングのリメイクには恐るべき意味合いあり(Lion King remake has terrifying implications)」である。シンガポールの英字紙ザ・ストレーツ・タイムズのミャンマー版(7月25日)をホテルで手にしたところ、上記のコラムがたまたま掲載されていた。

 人々は「ディープフェイク」(人工知能に基づく人物画像合成の技術)に対して無防備な状態であり、社会の不安定化や議会内の対立のほか、フェイク(偽者)のセントラルバンカーたちの「秘密」録音がリセッション(景気後退)を予測していれば株価のクラッシュが引き起こされ得るという。

 そうした詐欺的な技術に対する防備は、技術によるものだけでは不十分であり、各人が「より懐疑的な情報の消費者(a more sceptical consumer of information)及びより活発な真実の擁護者(a more vigorous defender of truth)」になる必要があるという主張が展開されていた。

 SNSなどで政治家を風刺する合成画像が飛び交ったり、真偽不明のあやしげな画像がスキャンダルを引き起こしたりする時代である。真贋(しんがん)をしっかり見分ける能力は欠かせない。筆者としても全く同感である。

 もう1つ、映画「ライオン・キング」の関連で筆者が読んだコラム記事が、ベトナム航空の機内でジャパンタイムズと一緒に配られていたニューヨーク・タイムズ国際版(7月25日)掲載の「『ライオン・キング』と実際の家族生活(‘The Lion King’and real family life)」である。