新聞の投書欄の平均年齢を調べてみたら……(写真:PIXTA)
新聞の投書欄の平均年齢を調べてみたら……(写真:PIXTA)

 人口減・少子高齢化を背景とする日本経済の地盤沈下が鮮明になった「平成」という時代が終わり、「令和」という新しい時代が始まってから、ほぼ3カ月が経過した。日常生活で元号を用いる機会が徐々に減っていることもあり、筆者の周囲では「令和」フィーバーめいたものは(あったとしても)早々に消え去ったように思う。金融界が構造不況の色をますます濃くする中、2019年度の前半戦をいかに乗り切るかで、プレーヤーたちは汲々(きゅうきゅう)としている感が強い。

 平成の終盤には、世代交代や技術革新、それから経済のグローバル化の反動やゆがみを背景に、人々の価値観がぶつかり合い、これまでのさまざまな常識が根底から揺さぶられる場面が多くなった。その延長線上にある令和は、「混沌とした、新たな秩序めいたものを模索する時代」になりそうだというのが、現時点での筆者の考えである。

ますます進む「価値観のセグメント化」

 だが、これからはますます、サイバー空間のインターネットやさまざまなSNS(交流サイト)が情報伝達のメーンフィールドになっていく。このため、「万人に共通のプラットフォーム」が生じにくく、情報・価値観・人々の意見のセグメント化が進みやすい。意見の集約はこれまで以上に難しくなり、政治は不安定化しやすくなると考えられる。

 今回の参院選ではユーチューブでの画像配信を積極活用した「NHKから国民を守る党」が比例区で1議席を獲得したほか、山本太郎代表の「れいわ新選組」がツイッターでの拡散を大きな武器にして2議席を得た。

 平成の中盤くらいまでは、新聞やテレビが伝えるニュースや解説が、物事を考えて自分の意見を固めていく際の、共通のプラットフォームになっていた。だが、「紙の新聞」を読んでいる人は、ますます高年齢層に偏ってきているように見える。

 いまどきの大学生は、就活を始める際に新聞の購読をやおら始めて、内定を得ることができたら解約し、入社式の直前に再び購読を始めて、仕事の様子がわかってきて購読しなくても大丈夫だとわかったら解約する、というのが「手順」のようである。

 筆者が勤めているのは証券会社なので、日本経済新聞を毎日読んでいないと仕事にならない部署が少なくないのだが、購読するのは朝刊のみで、夕刊はとらない人が多い。電子版が徐々に普及していることもあり、産経新聞(東京本社版)や一部地方紙のように、夕刊というものが将来はなくなるかもしれない。

 実は、筆者は子供の頃から新聞が大好きで、高校生くらいまではスクラップ帳にいろいろな記事を貼り付けていた。大学時代は図書館で、国内さらには欧米の新聞を図書館でよく読んでいたものである。

 90年代の半ばから筆者は、会社で早朝に「新聞当番」という仕事を自主的にやっている。社内の中堅・若手の有志とともに、その日の内外の新聞各紙をチェックして、経済・マーケットの動きを見ていく上で重要な情報、あるいは仕事に無関係でも世の中の流れに置いていかれないため知っておくと得になりそうな記事をチェックするのである。その際に、最近個人的にしているのが、新聞の投書欄の「年齢チェック」である。

 活字離れやデジタル化の潮流の中で、世の中は大きく変わった。昔は、新聞の投書欄を毎日眺めることにより、世論の動向を、世代間のバランスをとりながらおおまかにウォッチするのが可能だった。だが、現在ではそれは、もはや非常に困難になったと言わざるを得ない。新聞を紙で読む人、さらにはわざわざ投書をして自分の意見を紙上で述べようとする人が減少し、高齢化しているからである。

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