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 これに対し現在では、東京市場が休場かどうかにかかわらず、24時間365日、手元のスマートフォンで世界中の情報を、ほぼリアルタイムで容易に入手することができる。便利になった半面、オンとオフの区別をしっかりつけるのが平成初期よりもはるかに難しくなったことは間違いないだろう。

 金融市場は、リターンとリスクのバランスを常に考えていく世界である。良いことがあれば、悪いこともある。そうしたトレードオフ的な関係は、情報の入手が容易になっていった平成という時代の市場関係者にも当てはまるように思う。便利さが増したことの裏側に、ワークライフバランスをとることの難しさやストレスの増加があると考えるのは、おそらく筆者だけではないだろう。

 話は変わるが、マーケットエコノミストを長くやってきた筆者にとって、平成の思い出の1つになっているのが、資金運用部の国債売りオペレーションを事前に予想して的中させた件である。

 日本で初めて「チーフマーケットエコノミスト」という肩書を筆者が名乗ったのは、銀行系証券に出向した1994年11月である。しかし、債券市場で初めて存在感を発揮できたのは、まだ銀行に所属していた93年の秋ごろに書いたリポートで、大蔵省資金運用部(当時)の余裕資金が相当少なくなっており、市場から買い入れて保有している国債の売りオペを政府の経済対策の財源ねん出のために実施するのではないかと予想して、それが的中した時だった。

 このエピソードを覚えているベテランの債券市場参加者は、もはやかなり少なくなった。大蔵省(当時)は94年1月14日、政府の経済対策などで活用される財政投融資に回す資金を十分確保するため、保有する長期・超長期国債約9000億円を市場で売却すると発表した(1月21日に最初の売りオペを実施)。需給悪化を懸念して債券相場は急落。1月11日から債券先物は7日間続落し、1月上旬に2.9%台だった長期国債の利回りは、3月上旬には4%を超えた。

 大きなバブル崩壊に見舞われた日本経済は、定義上は93年10月に景気の谷をつけて拡張局面入りしていた。日銀は94年6月ごろから利上げを模索し始め、7月20日の情勢判断資料で景気回復を宣言。同月22日から翌日物金利の高め誘導を開始した。退任を控えていた三重野康日銀総裁(当時)の「花道利上げ論」がささやかれた。

 だが、現在ではもはや常識と化していると思われるが、巨大なバブル崩壊の後遺症で、金融機関の不良債権という非常に大きな構造問題が日本経済を覆っていたため、循環的な景気回復の強さには限界があり、市場金利の上昇余地はおのずと限られた。

 構造問題があるがゆえに、市場金利は上がりにくい。この図式は、構造問題の中身が「デフレ構造」「高齢化」などに入れ替わる形で、現在でも十分当てはまるように思う。

 会社で昔書いた自分のリポートをいくつか見ていたら、16年以上も前、03年8月20日に執筆したものに、今振り返ってみてもなかなか鋭いことが書かれていた。以下に一部を引用したい。株価が急騰する中、債券市場が日銀による将来の複数回の利上げを織り込んだ局面でのコメントである。インフレの時代が終わって日本がとうの昔にデフレの時代に入っていることを十分認識できていない市場参加者が、当時はまだ多かった。

インフレ時代から踏襲した行動パターンの存在

 「ムードメーカー」としての株価上昇の威力がいかに絶大であるかを、今回の債券相場急落劇で痛いほど感じさせられたのは、筆者だけではあるまい。株価上昇が景気回復に結びついていくルートは、日本の場合必ずしも明確ではないが、過去に示された景気循環に対する先行性ゆえに、「株価上昇=景気回復」という思考パターンが定着しているのであろう。だが、冷静に考えてみると、以下のような疑問点が浮かび上がる。

  1. 循環的な景気回復は、持続的・本格的な景気回復にそのままつながっていくのだろうか?
  2. 循環的な景気回復で、将来の段階的な利上げ実施をイールドカーブ上で織り込むのは妥当なのか?

 令和に入っても、経済金融情勢を考える上で、これらには参考になる面があるだろう。

 ① は、市場でこのところ妙に広がっている中国景気回復期待への警鐘として、読むことができる。