
令和という新しい時代がいよいよ始まったわけだが、今回のコラムでは職業人としての筆者が、もう少し平成の思い出話をすることをお許しいただきたい。
平成2年(1990年)2月、筆者は為替ディーラーから金融市場調査業務へと、担当替えになった。平成という元号は、マーケットエコノミストとしての私のキャリアとほぼ重なり合っている。だが、マーケットエコノミスト業務のやり方は、平成の初期の頃とは様変わりしている。
たとえば、四半期ごとに日銀短観(全国企業短期経済観測調査)が発表される日の朝8時台は、重要文化財に指定されている日銀本店旧館の中庭に、紙の公表資料をもらおうとする人々の長い行列ができたものだ。だが世代交代が進み、このエピソードを知る人は筆者の周りにはもうほとんどいなくなった。
平成初期の段階で、インターネットは日本でまだほとんど普及していなかった。とはいえ電子メディアはあったので、市場参加者は時事通信やロイターといったマスコミ各社が配信する経済統計などニュース速報の見出しや記事を、ディーリングルームに設置されている端末のスクリーンからいち早く知って、売買の材料にしていた(ちなみに、現在幅広く普及している米通信社ブルームバーグの端末は、日本では当時、全くと言ってよいほど見かけなかった)。
しかし、エコノミストが統計の内容を分析して顧客向けにリポートを作成するためには、細かい数字の書かれた資料がどうしても必要である。共同通信のFAXによる配信サービスが日米の主要統計をカバーしていたが、その着信を待っている時間が惜しい。
「鑑識眼」が重要な時代に
そこで、現地に出向いて資料を速攻で入手し、会社への帰りのタクシーで内容を急いでチェックし、帰社後すぐパソコンのキーボードをたたいてリポートを執筆してFAXで顧客に送信する、さらにマスコミからの電話取材に対応する、というのが固まった手順だった。
言うまでもなく、現在はインターネット上で発表予定時間ジャストに、主な経済指標の詳細を実に容易に入手することができる。情報を入手するという点では、なんとも便利な時代になった。とはいえ、代わりに「情報過多」になってしまった感もある。フェイクニュースの類もあるため、必要で正しい情報を見分ける「鑑識眼」を持つことが、以前よりも重要かつ必要になっている。
金曜日の米国市場が最終的にどうなったのかを知る手段も、平成の初期には限られていた。むろん、土日に出社すれば端末のニュース記事や市況画面から詳しい状況を知ることは可能だったが、人生はメリハリが肝心である。
土曜日の日経新聞の朝刊では、締め切りの関係でニューヨーク市場の途中までしかわからない。だから、土曜日の夕刊が当時は今よりもはるかに重要な情報源だった。なお、為替相場の動向については、ある金融機関のテレホンサービスで金曜の米国市場の概況を知る手もあった。
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