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 平成の幕を閉じる役回りを担うことになった安倍首相は外交の基軸として、日米の同盟関係を重視する立場である。もっとも、本質的にはナショナリスティックな考えの持ち主とみられる安倍首相がトランプ大統領との親密な関係維持に腐心している姿を、戦国時代に徳川家康が織田信長と結んだ清州同盟になぞらえる向きもある。やや脱線してしまう感もあるが、興味深いのでここで紹介しておきたい。

 東京大学史料編纂所教授で歴史学者の本郷和人氏と脳科学者中野信子氏の対談本『戦国武将の精神分析』(宝島社)に、次のくだりがある。念のために解説を加えておくと、織田信長の命により、武田勝頼に内通したとして徳川家康の長男・松平信康(信長にとっては娘婿)を切腹させられた。

中野:「(前略)信長のことはそんなに好きではなかった。だけど、この人についていかないと命が危ない」

本郷:「そうですね。僕は、コメンテーターもどきの仕事もしていますが、トランプ大統領と安倍首相の関係を『織田と徳川の清洲同盟に近いんじゃないか』ってことを言ったことがあるんです。要するに『超大国アメリカ=織田』という、まあ安倍さんにしてみれば、ついていくしかないですよ」

中野:「すると、『今川家=中国』といったところですね(笑)」

本郷:「安倍さんは日本のために“ポチ”をやるしかないと思っているのかもしれない」

「黒田バズーカ」の衝撃と副作用

 平成における日銀の金融政策は、バブル崩壊・銀行の不良債権問題と金融システム不安、「リーマン・ショック」や欧州債務危機などを背景とする為替の円高大幅進行などへの対処が基本線になり、金融緩和を何度も重ねることになった。

 速水優総裁(当時)の下、平成12年(2000年)8月のゼロ金利政策解除が失敗に終わると、日銀は翌年3月に量的緩和政策を導入。ゼロ金利政策を乗り越えて金融緩和の限界を追求することになっていった。「カラ雑巾を絞ってもなにも出てこない」というのが、当時はまだ一般的な考えだった。だが、将来の金融政策について中央銀行がコミットする時間軸(フォワードガイダンス)の導入、量(マネタリーベース)の大幅な上積み、長期国債や上場投資信託(ETF)の大量購入による債券・株式市場への直接の働きかけなど、その後今日に至るまで日銀が実行してきた実験的な緩和メニューは多岐にわたり、欧米の中央銀行が随時参考にするところまで「進化」している。

 平成24年(2012年)12月には、安倍晋三氏が首相に返り咲いて「アベノミクス」を展開。金融引き締めに動きがちな日銀のDNAを消し去る狙いで人事面から「レジームチェンジ」をした後、黒田東彦総裁が平成25年(2013年)4月に「量的・質的金融緩和」を導入した(いわゆる「黒田バズーカ」)。翌年10月には追加緩和が実施されている。

 このような従来の常識が通用しないほど大規模で実験的な金融緩和策の展開は、2年程度という短期間で「物価安定の目標」である2%上昇の達成を目指すという、太平洋戦争中の旧日本軍のような「短期決戦」を志向したものだった。だが、結果は失敗だった。日銀はその後、長期戦・持久戦態勢に切り替えているが、2%という物価目標が高過ぎて達成できるメドが全く立たないまま、金融緩和が漫然と続いている印象が強い。