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 まず、日本の経済統計全般について信頼感が低下しかねないことである。

 エコノミストを長くやってきた筆者には、たとえば、中国のGDP(国内総生産)統計は速報性が重視されすぎているあまり計数が粗いのではないかといった感覚がある。そしてその裏側には、日本のGDP統計は事細かにテクニカルな修正を加えるなど精緻に作成されているはずだという一種の信頼感がある。しかし、そのGDP統計の一部分である雇用者報酬の推計に用いられている毎月勤労統計が長期にわたり不適切な手法に基づいていたとすれば、GDP統計についても部分的には、信頼感は低下せざるを得ない。

 次に、日本型システムにおける「思考停止」さらには「制度疲労」である。

 統計委員会の西村清彦委員長は毎月勤労統計の不適切な調査について、「日本の製造業で相次いだ検査不正に一脈通ずるところがある。ずさんなことはしていないと思っていたが、問いただすとぽつぽつと過去の不正が出てきた。日本の統計は信頼性が高いといわれてきたが、制度疲労を起こしているのだろう」とコメントした(1月12日 日本経済新聞)。

露呈し続ける官僚機構の「負」の側面

 これは今回の問題が発覚した直後に、筆者がマスコミの取材に答えた内容と重なり合う。

 「前例踏襲」を重んじる日本の伝統的な手法が一種の「思考停止」に結び付き、おそらく悪意なしに、不適切な調査手法が(何回かの人事異動を経ても)淡々と続けられたのが今回の厚労省の事例だと、筆者は理解している。

 集団内の厳しい規律や高いモラルから、日本の官民のシステムは優秀だとされてきた(少なくとも筆者の世代はそういう認識を抱いてきた)。だが、21世紀に入る前後から、官僚機構の負の部分が露呈する場面が増えたように思う。民間会社でも最近さまざまな不祥事(長期間放置されていたケースを含む)が明らかになっている。

 もっとも、何らかの不祥事が発覚した場合に、再発を防ぐためチェック体制を強化するという「定番」の対応手法が過度にとられるようだと、今度は事務作業の効率性が低下(民間会社では生産性が低下)しかねない。

 そうした副作用を最小限にとどめ、日本の強みをできるだけ生かしつつ、社会システムをどう改善するのか。実に難しい課題である。