
「夢は35歳で、世帯年収3000万円になることなんです! だから、大企業にしか就活してません」
目をキラキラさせて“夢”を語るのは、現在、就活中の女子大学生だ。
世帯年収3000万円って? 共働きで稼いでも1人当たり1500万円の年収が必要になる。30代そこそこでそんな給料をくれるなんて、大企業の中でも限られていると思うのだが……。
リソース格差が世代を超えてつながっていく
学生「結構ありますよ~。IT(情報技術)系とか外資系とか」←断言!
河合「でも、倍率高いでしょ?」
学生「どうですかね~。でもやっぱり、人並みの生活したいですし~」←楽観
河合「ひ、人並みねぇ……。もし、大企業入れなかったら? 給料高い中小企業とか?」
学生「中小企業……(笑)。入れなかったら好きなことやります!」←自信たっぷり
河合「す、好きなこと。つまり、フリーランスとか、起業とか?」
学生「ですかね~。はい、好きなことやって、楽しく生活しま~す」←将来不安ゼロ
……すごい、というか、極端というべきか。
私も若い時には、かなりの夢見る夢子ちゃんではあったが、昭和おばさんは、久しぶりに面食らいました。
そこで、就活生と日常的に接している「ザ・昭和」の同世代に、このびっくり会話を話したところ、「結構いる、というか決して珍しくないよ」と。「若い世代の間の格差は想像以上に深刻で、気の毒なほど格差の固定化が進んでる」と教えてくれた。
私はこれまで繰り返し、格差問題や二極化に関して発信してきたし、中間層没落のリアルも取り上げてきた。だが、私の想像をはるかに超える局面に、日本社会は到達している“らしい”。
「中間層の没落」ではなく「中間層の消滅」。ハイソな生活をする若者と、野草で食をつなぐ学生である。
むろんここでの格差は、経済格差だけではない。
これもコラムでも繰り返し書いてきたけど、出自家庭格差、機会格差、学歴格差、希望格差などの様々な格差を意味し、「持てる者」は生きる上で必要なリソースを豊富に持つ一方、「持てない者」はリソースを獲得する機会すらない。両者の間には、チョモランマよりも高い壁が立ちはだかる。
ゆえにどんな家庭に生まれるか? で、子供が獲得できるリソースが決まり、リソース格差が経済格差へと世代を超えてつながっていくのである。
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