(写真:Shutterstock)
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 来週の火曜日(9月27日)、安倍晋三元首相の国葬が行われる。
 伝えたいことの伝え方が難しくて書きあぐねていたのだが、やはり書こうと思う。もはや胸の内にとどめておけないほど、モヤモヤしているのだ。

 SNS(交流サイト)には「招待状が送られてきた。何で私に?」といった投稿が招待状の写真と共に相次いで上げられ、返送の締め切り期日の項目は修正ペンで消した上に手書きで書き直されている。招待状の頭語は「謹啓」なのに、結語は「敬具」というお粗末ぶり。「しっかり」が大好きな岸田文雄首相が、「丁寧な説明を尽くす」とした国会の閉会中審査では、何ひとつ伝わってこない答弁が繰り返された。

リーダーの決断は公明正大であるべきだ

 海の向こうでは英国のエリザベス女王が死去され、「本物の国葬」というワードがTwitterのトレンド入り。一方、この国の政府は国葬ではなく“国葬儀”という言葉を繰り返している。

 「弔う」という故人を思う言葉が、国葬が近づくにつれ薄らいでいく。何なんだよ、これ。

 もし、岸田首相が「国葬」と早々に決めるのではなく、合同葬や国民葬も含めて、透明性のある検討をしていたら?
 もし、岸田首相が閣議決定ではなく、国会での議論と議決を経ていたら?

 申し訳ないけど、岸田首相の今回の決定とその後の対応は、リーダーとして失格だと思う。
 「国葬じゃなく、国葬儀」と、内閣設置法を盾に“国葬”を正当化したり、結論ありきで辻つま合わせをしたりする手法を、この国のリーダーはいつまで続けるのだろうか。

 「誠実にまされる知恵なし」とは、英国の保守系政治家ベンジャミン・ディズレーリ(1804~81年)の名言だが、国葬決定は誠実な決定だったのだろうか。「公正な」と言い換えてもよい。

 佐藤栄作氏が亡くなった時に、内閣・自民党と国民有志の共催で行われた「国民葬」は、「どうやって弔うべきか?」を誠実に考えぬいた日本人の知恵だ。その知恵の壁を岸田首相は最も簡単に飛び越えた。

 リーダーの決断は、公明正大であるべきなのに、今回の国葬にはそれがない。だから、無性にもやる。

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