写真はイメージです(写真:Shutterstock)
写真はイメージです(写真:Shutterstock)

 懐かしい写真が手元にある。

 1990年12月(日付は不明)のパリ。

 鮮やかな緑色のボディーに、黒のゼブラ柄が彩られた大型のトラックの前で、スーツ姿の男性と、パリ便の同乗クルーと並んで写っている。トラックの正面には「Hino」とイタリック文字で書かれた赤いプレート。私の髪形は……なんとなんとのソバージュ!(笑)だ。

経営の当たり前がない、皆無だった

 実はこれ、91年のパリダカ(パリ-ダカール・ラリー)に日野自動車工業(現日野自動車)が初めて参戦するに際し、スタート地点のパリで行われた壮行会の写真である。当時私は、ANA(全日本空輸)国際線のCA(キャビンアテンダント)だった。

 一緒に写っているスーツ姿の背の高い細身の男性は、日野自動車工業の鈴木孝取締役(当時、後に副社長)。私の記憶に間違いがなければ、鈴木さんは「エキップ・カミオン・HINO」(当時のチーム名)の総監督だった。

 「鈴木さんはエンジンの神様。一人ひとりのスタッフがプロフェッショナルの仕事をしないと車は走らない。仕事はチーム」

 スタッフの1人がこう話してくれたことを、写真を見て思い出した。

 とにかくカッコよかった。あの会場に漂っていた、「絶対に完走するぞ!」という圧倒的な熱気と高揚感と、期待感の背後にある、スタッフ全員の汗と涙がカッコよくて。みんなみんな、めちゃくちゃ幸せそうだった。

 ……それだけに残念。

 はい、そうです。不正が次々と明らかになり、ほとんど売れる車がなくなるという、前代未聞の事態の渦中にある日野自動車です。私が「カッコいい!」と無性に感動した、あの頃の「Hino」はいったいどこにいってしまったのだろう。

 8月3日に公開された「調査報告書」の内容は、日野がもはや会社の体をなしていないことを示す内容だった。会社を支えるのは「現場=人」という経営の当たり前がどこにもない。皆無だった。

 8月30日、会社側は「信頼回復プロジェクト」を発足させ、社長直轄チームが主導して社内改革を実行したり、企業風土改革の一環として「パワハラゼロ活動」を進めたりすると発表したけど……、道のりは遠いと言わざるを得ない。

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