課長候補であるリーダー層を対象にした講演で、聴講者の1人から、「いつまで若手を持ち上げ続ければよいのでしょうか?」と質問が出て、場内が一斉に、「よくぞ言ってくれた!」という空気に包まれたこともある。

 批判したくてもできない。世間にあふれる“Z 世代のトリセツ”に従うのは疲れた、それが本音なのだろう。

褒めるだけでは自己肯定感は高まらない

 いずれにせよ、Z世代は幼稚園児の頃からタブレットをシュシュっと操り、SNS(交流サイト)を活用したコミュニケーションを日常的に行い、育ってきた「デジタルネーティブ」だ。

 指一本で海を越え、多種多様な国籍の人たちと交わり、環境問題や人権問題を教育され、社会問題にも積極的に関わってきた。さらに、新型コロナウイルス禍で一気にデジタル化が進み、SDGs(持続可能な開発目標)、ウェルビーイングといった言葉が日常的になったことで、“Z世代オリエンテッド”は、より高まったと言えよう。

 若年者のリサーチを専門にしてる知人いわく、「Z世代はそれまでの世代とは一線を画す新人類」だと。新人類という懐かしい言葉を使う時点で、彼も“考え方が古い人”かもしれないけど。どうやら「新時代の先頭バッターがZ世代」ということらしい。

 コミュニケーションの手段も、教育も、取り巻く環境が変われば、“超新人類化”するのは至極当然のこと。環境や人権問題などについて、昭和世代にはない彼らの視点から学ぶことは多いし、彼らのフットワークの良さに感動することもある。それだけに……、彼らの意見に違和感を覚えても、「自分が古いのかも」と内省してしまう。

 となれば、未来の日本を担うのは若者たち、未来をけん引するのはZ世代、といった美しいフレーズに、「おっしゃるとおりです!」と賛同するしかなく、「でもさ~、マジでどうなのよ?」という思いは、胸のうちにしまうしかなくなるのだ。

 冒頭の男性は、「褒めて育てる」という風潮の過剰さにも違和感を覚えているようだけど、私もまったくもって同感である。

 褒めて育てること自体に異論はない。褒められるのは誰だってうれしい。褒められることで、救われることだってある。

 しかし、「豚もおだてりゃ木に登る」とばかりに、家庭や会社で、親子や上司部下の間で、やたらめったら「褒める」を称賛することは、逆に、自尊心や自己肯定感が低く、他者評価に依存する「自己過信する若者」を量産するリスクを高める。

 例えば自己肯定感。最近は自己肯定感という言葉が頻繁に使われ、「子供の自己肯定感を高めるには褒めて育てよ!」といった言説や情報があふれているが、褒めるだけでは自己肯定感は高まらない。

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