私は「残業」「米国」「投資」という3つの要因に分けられると考えている。
日本人と切っても切れない関係になってしまった「残業」は、高度成長期に「メード・イン・ジャパン」の製品が世界で評価され需要が急激に拡大し、追いつかない供給をカバーする目的で生まれた発想である。
働く人を「死」へと追いつめる
皮肉にも、1970年代の第1次オイルショックで景気が冷え込んだときに、国が助成金を出して雇用を守ろうとした政策が裏目に出た。不景気の間、社員を解雇しなかった企業が、景気が回復した後に少ない人数が長い時間働くことで生産性を維持できることに気が付いた。その後、90年代にデフレで供給過多になってからも、生産設備と共に人も減らしたのに、“実に便利な残業文化”だけは残った。いや、残した。
また、80年代ごろから、突然、心筋梗塞・心不全、脳出血・くも膜下出血・脳梗塞などの疾患で命を失う会社員が急増し、「過労死」という言葉が生まれていたのに、残業は一向に減らなかった。いや、減らすどころか残業代込みの賃金にし、90年代になると、過労自殺という悲劇が繰り返されることになってしまったのだ。
人の心は、「仕事の要求とプレッシャー」が高まると、自ら“働き過ぎ”を拡大するという矛盾を引き起こす。「いい仕事をするためには、私的な時間を犠牲にしてもやむをえない」と過剰適応し、身も心も疲れ果てボロボロになってもどこまでも働き続ける。やがて「疲れてます! 休んでください!」と警告する、脳内の見張り番まで機能しなくなってしまうのだ。
過労死問題に長年取り組み、「過労自殺」という言葉を最初に使った川人博弁護士によると、過労自殺した人が残した遺書には、必ずといっていいほど謝罪の言葉があったそうだ。
「もう何もヤル気の出ない状況です。会社の人々には大変な心配、迷惑をかけている」
「すいません。何も感じない人だったら、このようなことはしなかったと思います」
「なさけないけどもうダメだ。ごめんなさい」
…………。
働く人を「死」へと追いつめる経営を、果たして経営というだろうか?
身も心も会社に拘束された状況で、付加価値が生まれるわけがない。
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