小田嶋隆さんが……いなくなってしまいました。
 悲しい、ただただ悲しいです。
 面識もない私ごときが、この場で小田嶋さんについて文章をつづるのはふさわしくないかもしれません。しかし、どうしても小田嶋さんにお伝えしたいことがあり、筆をとりました。
 私が日経ビジネスオンラインで連載をスタートしたのは、14年前の2008年。小田嶋さんの「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』 ~世間に転がる意味不明 」と同じ頃です。
 当時の私は生意気にも「シニカルな文章を書きたい」と思っていました。
 しかし、小田嶋さんの文章を読み、それがいかに分不相応だったかを思い知りました。
 圧倒的な語彙力、そして「間」。私は自分の文章力の稚拙さは痛いほどわかっていたけど、自分の愚かさを恥じました。

 一方で、読者のみなさんのおかげで小田嶋さんと記事のアクセス数を競うときもしばしば。たくさん読まれたくて書いているのに、読まれれば読まれるほど“恥じる”自分がいました。
 そんなある日、小田嶋さんがコラムで「毎週連載があると、書き手はこんなネタ? と思うようなものでも書かねばならない」といった趣旨のことを書かれていて、「小田嶋さんでも、そんなことがあるんだ」とホッとした。すごく救われました。

 私は連載以外にも、色々な方と対談もさせていただいていたので、担当編集者から「小田嶋さんとどうですか?」と打診されたことがあります。私は……「はい!」と言えなかった。「きっと小田嶋さんは私のような女、嫌いだろうなぁ」「私のレベルで文章書いてるなんてお怒りになるだろうな」「そもそも私のコラムなんて読んでないだろうな」……。どんな経済界の重鎮でも恐れることなく対談をお願いできていたのに、自分のダメさ加減を突きつけられるのが怖くて、小田嶋さんにお願いすることができませんでした。

 そして、今。対談をお願いしたくてもできない。お会いしたくてもお会いできなくなってしまった。小田嶋さんのツイッターで、小田嶋さんの体調をひそかにチェックするのが習慣になっていたのに。もう、更新されることもありません。
 悲しい。ただただ悲しい。

 最後に言えなかったこと、言わせてください。
 批判されることを恐れずに「おかしいことはおかしい」と書き続けることができているのは、小田嶋さんのコラムがあったからです。

 小田嶋さん、心よりありがとうございました。

(写真:Shutterstock)
(写真:Shutterstock)

 参議院の選挙戦がスタートしたことで、テレビをつければ、「賃金は上がらず物価は上昇」といったコメントが飛び交い、「海外の物価高は、賃金も上がる良いインフレの面があるが、日本は悪いインフレでしかない」と識者が一刀両断。新聞を広げれば、「円安」「労働生産性」といった言葉が毎日登場し、経済協力開発機構(OECD)加盟国や主要7カ国(G7)における日本の“位置(ポジションの低さ)”ばかりが取り上げられている。

 日本の賃金や生産性の低さは、何年も前から問題視されてきた課題だ。なのに、空前の人手不足に陥っても、「賃金の上方硬直性」という特異な現象を引き起こし、世界的な賃金アップのラッシュが起きている今も、この国は“わが道”を歩き続けている。

「働く人」の視点からの生産性

 「働けど働けどなお、わが暮らし楽にならざり」どころか、「わが暮らしますます苦しくなりにけり」状態に突入してしまったのだ。

 そんな中、「日本の賃金が上がらないのは、なぜなのでしょうか?」「日本の労働生産性が上がらない原因は、何なのでしょうか?」などと、コメントを求められることが増えた。
 改めて言うまでもなく、私の専門は経済学ではない。しかし、「人の心模様」を見続けてきた研究者の端くれとして、言いたいことは山ほどある。「つまるところ、経営者がきちんと経営をしてこなかったからだ」と、本コラムでも経営者の皆さんに嫌われることを承知で言い続けてきた。

 だって、日本人の能力が低いわけじゃないのだ。「OECD国際成人力調査」(2013年)では、日本の労働者の質は世界トップ。読解力・数的思考力・ITを活用した問題解決能力の3分野すべての平均得点で、日本人は堂々の1位を獲得している。

 なのに、なぜ、生産性が低い? なぜ、賃金が上がらない? その理由はどう考えても、「経営者がきちんと経営をしてこなかった」という一言に尽きる。企業も、働く人も、お客さんもニコニコで三方良し。これこそが生産性向上の極意なのに、この国は「働く人」を見ない経営をしてきた。それは同時に、この国の本質的な「人」への考え方、価値観の有様を物語っている。

 そこで今回は、改めて「人=働く人」の視点から、生産性についてあれこれ考えてみる。

次ページ 現場を疲弊させた要因とは