(写真:Shutterstock)
(写真:Shutterstock)

 このところ「50歳からの学び」に関するインタビュー依頼が続いている。
 いずれの雑誌の担当者も、先月出版した拙著(『THE HOPE 50歳はどこへ消えた? 半径3メートルの幸福論』)を読んでくださったとのこと。ありがたい限りだ。
 が、拙著は“学びだけ”に特化した内容ではない。なのに、「50歳からの学び直しは~~~」だの、「50代の成長って~~~」とか、「50歳を過ぎると成長を実感できない」「成長する学び方とはどういうものか」だのと、50歳・学び・成長をセットにした質問が多いのだ。

 確かに、いいお年ごろになると“成長”という2文字が、過去形になりがちである。

このままじゃ、ヤバい

 20代、30代のときは、“働いているだけ”で成長を実感することができた。次々と新しい仕事を任され、学生時代には行ったこともない土地に出張し、年齢もキャリアも、自分より“上”の人たちと関わること自体、「私、成長した!」と思える心地よい経験だった。

 その後も、40代前半くらいまでは、一つひとつ役職という階層社会の階段を上がり、責任ある仕事も増え、成長を感じる節目がある。

 が、40代後半になると景色が変わる。
 かつて深夜まで飲み明かした同期が、自分が足を踏み入れたことのない“会議”に出ていたり、会社に見切りをつけて転職をしてしまったり。一方で、自分はといえば、ささくれた気持ちになることだらけの日常が繰り返されている。

・これ以上の出世は望めないだろう
・これ以上、自分の能力を伸ばすことはできないだろう
・これ以上、新しい仕事に取り組むことはできないだろう

 といった、いわば自分への諦めの感覚に翻弄される“キャリア・プラトー”、“キャリア中期の危機”と呼ばれる状態に突入するのだ。

 新型コロナウイルス禍の前なら、ここでジ・エンドだった。

 しかし、コロナにより「このままじゃヤバい!」と焦燥感を募らせる人たちが、確実に増えた。危機感と言い換えてもいい。

 なにせメディアには連日、リカレント教育、学び直し、セカンドキャリア、50歳からの働き方、といった前向きなワードが踊っている上に、「年収1000万の私が転落した理由」「年収700万は下流老人予備軍」といった内容の記事が日替わり弁当のようにバズっているわけで。そりゃあ誰だって焦るし、「結局さ~、稼ぎ続けなきゃいけないわけね。で、どうする?」と、自問する人が増えたのであろう。

次ページ 会社員の最大のリスクは上司