(写真:Shutterstock)
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 またもや、知人が仕事を辞めて実家に帰ることになった。昨年から……4人目。

 「父が他界し、一人暮らしで高齢の母の面倒を見るため」という同じ理由で。

 全て女性、かつ独身、そして、50代。
 みな、「いよいよそのときが来ちゃったわ」と、それまで積み上げてきたキャリアを手放すことに、少し寂しそうで。それでも吹っ切れた感じで、「前向きに考えるしかないね」と笑うのだった。

親の変化はいつでも突然

 「親に何かあったら……」というのは、私たち世代共通の心配事である。しかしながら、「親が老いる」という当たり前が、どのような形で「自分」に影響を及ぼすか? を想像するのは極めて難しい。

 「追い込まれるから必死にやるんでしょうに……」――。以前、私が介護問題について書いたコラムに、こんなコメントをくださった方がいた。その言葉の真意は、自分が「言い訳できない」状況に追い込まれて初めて分かる。自分のことだけ考えて生きていた時代が、妙に懐かしく、それが、実は特別なことだったと。

 いつだって親の“変化”は突然であり、1つの大きな変化をきっかけに、次々と予期せぬ変化が起こり、“想定”があっという間に崩されていく。しかも、「老いる」とは、昨日までできていたことが一つひとつ、できなくなっていくことであり、そのプロセスは人により全く異なるし、日によっても“オンオフ”があり、「あれ? 問題ないじゃん」と安堵する日がある一方で、目を、耳を、疑うような“絶望の現場”に直面する。

 それは電話では決して分からない、親とフェースtoフェースで会ったときに感じ取る、「老いによる変化」だ。

 “絶望の現場”を繰り返し目の当たりにすると、
 転んで大腿骨を折ってしまったら?
 道に迷って、帰れなくなってしまったら?
 間違って部屋から出てしまったら?

 といった不安が容赦なく襲いかかり、やがて「一人暮らしを続けるのは無理」という確信に至り、ついに「言い訳できない」状況に追い込まれる。

 そう。「仕事を辞める」という選択を余儀なくされるのだ。
 しかも、その選択は、自分でも整理し切れない“正体不明の感情”によって行われるので、

 「会社を辞めたら最後」
 「介護離職は、自分の首を絞めることになる」
 「親のためという考え方は禁物」
 「公共のサービスをフルに使って、辞めてはダメ!」
 と、どんなにたしなめられても、後戻りできない。

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