(写真:Shutterstock)
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 新型コロナウイルスと共に日常が回るようになってから、かれこれ2年。

 Facebookの「思い出」というページで、過去の同じ日の投稿を見たところ、「なんか気のせいか新幹線が空いている」――と、あった(2019年2月18日)。

肌で感じる情報の欠如

 なるほど、あの頃までは、“密”が当たり前だったのだな。というか、コロナにより、いろいろな“リアル”が減り、日常が劇的に変わったことを、改めて痛感する。「フェースtoフェースで人と接する日常=リアル」という当たり前が消え、自分の生活世界=半径3メートルが遠くなった。

 新型コロナがなかったら「書斎から講演をする」なんて異常事態を経験することはなかったし、書斎から会議に参加したり、取材を受けたりすることもなかった。

 「きょうは一日Zoomデー!」などと言いつつ、パソコンの画面越しに「初めまして。河合薫です」と名刺交換なしであれやこれや会話をするのが当たり前になり、「ん? 私が話した“あの方”は……誰?」状態を、これまた日常的に経験している。

 新型コロナが拡大する前は、あいさつするたびに、「え~、こんなに背がお高いんですね。もっと小さい方だと思ってました!」とよく言われ、「はい! すくすく育っちゃいました!」と笑いを取る瞬間があった。

 たわいもないこうした会話が、初対面の人との距離感を縮めるのに役立っていたのだが、今はそれがない。「ただの人」として対面し、相手と心が触れ合う瞬間が見事に消えたのだ。

 むろん、リモートには良い面もある。

 対面の講演会では「質問したいことがあっても、手を挙げることができなかった」人たちが、リモート講演会なら、Q&A機能を使って、気後れせずに質問できるようになった。その結果、質問だけでなく、「ありがとうございました! お話の中の○×がすごい参考になりました」「×□×□に共感します!」などと、率直な感想を送ってくれる人も増え、それはそれでうれしかったりもする。

 取材や会議の予定を1日に幾つも入れることもできるし、時間管理も容易になった。

 でも、やはり何か物足りない。

 リモートによる「肌で感じる情報の欠落」によって、これまでできていたことができなくなってしまったのだ。

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