(写真:Shutterstock)
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私はいま大学2年生です。
 頑張って勉強して、志望大学に入れたのに
 (新型)コロナ(ウイルス感染症の拡大)で2年間台無しです。
 大学は、少しずつ再開しましたが
 1年生の時の思い出はほぼ皆無。
 本当ならサークルの勧誘など受けてみたかった。
 大教室で講義を受けたかった。
 2年生のうちに留学したかった。
 でも、もう就職活動を始めることにしました。


 これはNHKが開設している「ふだんあまり口にはできない気持ちをはき出し、わかちあえる“居場所”を目指した」サイト(ハートネット)に、今年1月8日に投稿されたメッセージである(冒頭のみ)。

限界まで追い詰めたのは誰

 「大変なのはみんな同じだということは分かる」「皆みたいに柔軟に生きれない」「大学生活を謳歌したかった」「報われなかった」「そろそろ就職」……。
 ある女子大学生の、頭では理解できても、心がついていかない、“はき出したい気持ち”がつづられていた。

 「大学生活」という、さしたる色気もない4文字に心地よさを感じるのは、「新型コロナ」が発生する前の世代だけの特権になってしまった。“台無し”(前出)になった2年間、すなわち18歳、19歳のときって、人生で唯一無二の「何もしない」ことが許される、極めて貴重な時期だ。

 なのに、無情にもそれが奪われてしまった。「何もしない」のではなく、「何もできなかった」。

 100年に1度のパンデミック(感染症の世界的流行)は、相手を真っ正面から見つめて話すこと、不安そうな手を握ること、うれしくて思わず抱きしめること……、そういった他者と直接触れ合うことが、とても特別なことで、大切なことだったと気づかせてくれたけど、学生時代の1年間の空白=1年生のときの思い出はほぼ皆無(by 冒頭のメッセージ)ということが、若者たちを追い詰めている。

 大人でさえ、リモート越しのつながりでは心が温まらず人恋しいのに、「人間関係が全て」の若者には、あまりに残酷な経験であろう。友人関係に悩んだり、友達とぶつかったり、恋をしたり、恋に破れたりすることで、心の動きの機微を学び、共感する感情や自立する心が育まれるのに。全て“妨害”されてしまったのだ。

 就職氷河期世代が「不景気」という社会の不条理を押し付けられた人たちなら、今の若者たちは「対面の制限」という社会の不条理に追い詰められた“コロナ世代”だ。

 むろん、こうしたカテゴライズをすることは、時にネガティブな経験を当事者にさせてしまうことがあるので、“コロナ世代”という言葉、表現には批判があるだろう。しかし、“大人”が決めた、新型コロナの拡大防止策により、「思春期の若者たちの心を限界まで追い詰めてしまった」という現実を、忘れないための“共通のワード”としての役割にはなるかもしれない。この理不尽な経験を、「いい経験にしてほしい」などと安易に片付けないために。

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