「意見を言える職場づくり」は、最近のトレンドである。
 心理的安全性という言葉が、あちらこちらで使われるようになってから、やたらと増えた。

フィルターを通して見る世界

 「意見を言い合うこと=心理的安全性」ではなく、「意見が言える空気があること=心理的安全性」なので、少々おかしな取り組みではある。とはいえ、今回のテーマとは若干ずれるので、心理的安全性に興味ある方はこちらをお読みください(グーグルが見つけた「成功するチームの法則性」)。

 本題に戻る。

 くだんの女性が指摘するように、どんな意見も意見だし、一見「文句」に聞こえる戯言(たわごと)であっても、貴重な意見になる。日々の業務に関わる現場のメンバーたちの感度は、上の人たちのものより、はるかに高い。
 であるからして、上が下の「意見を聞く」としたのなら、耳の痛い話でも聞くほかない。当然、下からの批判に慣れていない上の人たちが「イラっ」とすることもあるだろう。あるいは、業務の理解不足による「間違った批判」もあるはずである。

 それでも意思決定者には、それらをひっくるめて「受け入れる」度量が必要なのだ。

 ビジネスパーソンが大好きな、ピーター・ドラッカーの有名な言葉にもあるではないか。
 「意思決定の第一の原則は、反対意見が出てこないなら意思決定はしないことだ」と。
 「反対意見が出ない=批判が出ない→優れた決断」じゃないと、警鐘を鳴らしている。

 なぜか?
 人は「見えるものを見る」のではなく、「見たいもの見る」から。

 認知のゆがみがそうさせるのだ。

 私たちの心には認知をゆがめるフィルター機能が備わっていて、私たちは常にそのフィルターを通して物事を見る。
 これが俗にいう「認知バイアス」だ。

 人は元来、不必要なところにはなるべくエネルギーをかけずにすむように勘や経験に頼る傾向が強いことに加え、心はその人が置かれた環境、文化、習慣、価値観、経験、期待など、さまざまな要因を組み合わせてインプットされた情報を処理し、自分に都合のいい「私の物語」としての意味づけをするメカニズムを持ち合わせている。

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