「建設的な批判じゃなきゃ」「前向きな批判じゃないと」というけど、批判=誹謗(ひぼう)中傷でもなければ、批判=自分の価値を高めるためにやってるわけでもない。
 あるいは、何らかのスキャンダルが明らかになったときに、それを追及するのは、批判に当たるのだろうか。
 追及される側=与党が、問題の答えにならない、謎の回答をし続けるなら、野党は追及を続けるほかないわけで。

コミュニケーションは双方向

 念のため断っておくが、私は野党を擁護してるわけじゃない。
 批判することを批判する社会の空気、批判する人を批判することが、正義のように扱われていることへの違和感を述べているにすぎない。

 おかしいことをおかしいと指摘するのは、当たり前のことだ。

 大体、「批判を批判する」人たちは、決まって「批判じゃなく対案を」と言うが、批判される側の受け止め方次第で、批判は対案に値する貴重な意見になる。

 誰のために、何の問題を、どうしたいのか? という明確な方向性と、「もっともっといいものにしたい」という気持ちさえあれば、いかなる批判も受け止められるし、間違っている批判を正すこともできる。

 そういった批判の積み重ねによって、法律などの原案が改善され、対案にとって代わる「いいもの」ができる。

 誰にとっても100%ベストのものをつくり上げることは、所詮無理だ。しかし、それに限りなく近づけるには、提案する側が批判を受け止めることが最良の手段になる。

 ときには、批判が正しすぎて、廃案にした方がいい場合だってあるかもしれない。

 むろん、批判する側にも言い方の良しあしはある。目をつり上げた人に攻撃的に批判されるのと、エビデンスを示して冷静に批判されるのとでは、受け取る側の受け止め方や、伝わり方は、変わるであろう。加えて、批判には「正しい批判」と、「間違った批判」がある。間違った批判とは、枝葉末節にとらわれて大局を見失っている批判だ。

 いずれにせよ、コミュニケーションは常に双方向。一方が悪いとか、どっちが良いとか言い切れるものではない。片方が質の高いコミュニケーションを心がければ、もう片方の受け止め方が変わり、コミュニケーションの質が自然と高まる。

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