つまり、「上から目線」という言葉以上の格差、すなわち学歴格差、家庭格差が存在し、それゆえに自尊心を極限まで低下させている若者たちがいる。言うまでもなく、その格差を生んだのは、「カネを稼ぐ能力の高い人」は、「価値ある人間」として振る舞う権利を得られるということを、彼ら・彼女らに経験的に学ばせた大人社会の問題である。

 その結果として、若者の意識が変わり、いや、「変えないとやってられない、変えないと自分の存在意義を見失ってしまう社会」が出来上がったのだ。

量産される「好奇心なき若者」

 なのに、若者の意識の変化って? なんなんだこれ?

 そもそも若い人だけでなく、日本人の知的好奇心は世界的にみても、異常なほど低い。

 先日、このコラムで「OECD国際成人力調査(PIAAC)」の結果が「日本人の能力の高さを示している」と書いたが(「45歳で定年、40歳で賃金打ち止め! 一流経営者の発言大炎上」)、PIAACでは本調査とは別にいくつかの背景調査が実施されている。その中に、「私は新しいことを学ぶのが好きだ」という、いわば「知的好奇心」を問う質問がある。

 その問いに、日本人の21%、つまり5人に1人が「(私は新しいことを学ぶのが)好きではない」(=「全く当てはまらない」「ほとんど当てはまらない」)と答え、「好き」(=「非常に当てはまる」「当てはまる」)と答えたのは43%だった。

 この答えだけ見れば、さほど問題はないように思える。しかし、他の先進国と比較すると、日本人の知的好奇心は際立って低いのが分かる。欧米の先進国では「好き」と答えた人は軒並み6~8割超。「好きではない」と答えた人は5%にも満たないのである。

 さらに、この結果を年齢別に分析した教育社会学者の舞田敏彦氏によると、「日本の20歳の好奇心とスウェーデンの65歳(の好奇心)はほぼ同じ」だという(資料)。

 本来、若者は好奇心にあふれているはずなのに、10年ほど前から日本の若者の好奇心は、初老並みまで落ち込んでいた。当時は、過労死が社会問題化しているのに、企業は一向に長時間労働やサービス残業をやめなかった。若者の労働意欲を低下させるような働き方をさせてきたわけだ。賃金を上げることもなく。「仕事って面白いものなんですか?」って疑問がわいて当たり前だ。

 そもそも「好奇心なき若者」を量産しているのは、大学のキャリア教育であり、異常なシューカツ(就活)競争にあるのではないか。少なくとも私はそう考えている。ずっとずっと、教育の問題と考えてきた。

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