健康社会学者の河合薫氏と、日本オリンピック委員会(JOC)理事でもある山口香筑波大学教授が「東京五輪は開催されるか? 勝利至上主義と“おじさんの森”」と題して実施したライブ対談の3回目をお届けします。最終ページでは、対談動画をご覧いただけます(編集部)。

※本記事は、対談の模様を編集してまとめたものです。

健康社会学者の河合薫氏(左)と日本オリンピック委員会(JOC)理事でもある山口香筑波大学教授(写真:Shutterstock)

河合薫氏:東京オリンピックから、ちょっと話題を変えますね。山口さんのこちらの本(『女子柔道の歴史と課題』)を読ませていただいて、(講道館柔道の創始者である)嘉納治五郎がかなり早い時期から女子柔道というものをつくっていた、ということに驚きました。私がやっていた剣道とは全く違うんですね。私は剣友会ではいつもお豆でしたから(笑)。

山口香氏:スポーツ界は圧倒的に男社会ですよね。ところが今の柔道をつくり上げた嘉納治五郎は、非常に先見の明があった方で、明治15年(1882年)に講道館柔道をつくった約10年後に、女性の門下生を入れているんです。これからの時代は、女性の活躍も国益になると考えたのです。当時はご承知の通り、女性は家にいて、自分の健康より夫と子供を最優先するのが当たり前でした。でも、嘉納治五郎は、これからの世の中は、性役割とは関係なしに、女性も自分の心と体の健康をしっかりつくることが、国の力になるというような思想があったようです。ただ一方で、「女性は、試合への出場はまだ早い」とおっしゃっていたんですね。

河合:「試合はまだ早い」、ですか?

女子柔道の試合、きっかけは外圧

山口:はい、当時の女性は、運動の経験がなかったからです。つまり、人間というのは、試合になれば勝とうとすると無理をしてしまうだろうと。

 女性の健康や体力を高めようとしているのに、怪我をするようなことをさせるのは本末転倒だと考えたようです。もう少し女性の体を知りつつ、鍛えつつ、ある程度のところで考えようと。

河合:じゃあ、女性が試合に出るようになったのは、それから何年後というか、どれくらいかかったのですか。

山口:嘉納先生が亡くなられて、昭和53年(1978年)に初めて女子の試合が始まりました。

河合:明治、大正、やっと昭和になって、ですか。嘉納治五郎は昭和13年(1938年)に亡くなってますから、あらら……、随分と後ですね。

山口:ええ、嘉納先生の言葉が、「女性に試合はさせるな」というふうに伝わったようです。

河合:でも今は、柔道は日本だけではなく、世界のスポーツになっていますよね。

山口:嘉納先生は、女性だけでなく海外の人も受け入れていましたので、その人たちが世界各地で柔道を広めていきました。当然、男性だけではなく女性にも広まっていったのです。実は、昭和53年(1978年)に初めて女子の試合が始まったのも、理由は外圧なんですよ。

 世界の女性たちがあちこちで声を上げて、国際柔道連盟が重い腰を上げた。日本からも選手を出さないわけにいかないよねということで、国内でも女子の試合をやるようになったんです。

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