今回はまず、こちらからお読みください。
「数合わせさえできないトップが、技術革新だの、生産性の向上だのを実現できるわけないですよ。(女性管理職の比率として)30%を目指すと決めたなら、『どうしたらできるのか?』を考え、議論し、行動するのがトップの仕事です。
なぜ、30%かと言えば、それがあるべき姿だからです。それ以外に何があるというのでしょうか。そのあるべき姿にたどり着くためには、トップが汗をかくのは当たり前でしょ?
それをやりもしないで、あたかも女性に問題があるかのごとく言うのは、自分が無能だと言ってるようなもんです。
だいたいね、30%というのは小学校で習う算数ですよ。そんなこともできないで、よく経営できるなと思いますよ。いろいろと言う前に数字を実現するのが、トップの仕事なんです」
相次ぐ“無意識”発言
これは先日、中小企業のトップの方たちと意見交換したときに出た、ある社長さんの意見だ。会合ではさまざまな話題が出たが、もっぱら関心が高かったのが森喜朗氏の発言を発端にした「性差別」と「多様性」だった。
そして、経済同友会の櫻田謙悟代表幹事が「女性側にも全く原因がないわけではない」という“超気を使った本音”を漏らしたことを、くだんの社長さんが極めて辛辣な表現で批判した、というわけ。
ご存じない方のために説明しておくと、櫻田氏は2月16日の定例記者会見で、森氏の発言を「論外」と一蹴した上で、「日本が生産性を上げるためには、イノベーションが必要であり、イノベーションのためにはダイバーシティーが必要である」と指摘。
さらに、「今回の問題ではジェンダーという部分で手をこまぬいているが、ダイバーシティーを推進しなければ組織の存続すら危ういとの危機感を持つべきである」と警鐘を鳴らした。
その一方で、企業において女性の役員登用が進んでいないのは、「女性側にも全く原因がないわけでもない。『(チャンスを)与えられたら』という方はいるが、自ら取りにいかれる方はまだまだ多くないように感じている」と述べたという。
くしくも日本経済団体連合会(経団連)の中西宏明会長が、「日本社会というのは、ちょっとそういう本音(森氏の発言)のところが正直言ってあるような気もしますし、こういうのをわっと取り上げるSNSっていうのは恐ろしいですね。炎上しますから」と指摘した通り、“ちょっとそういう本音”(櫻田氏の発言)はわっと大炎上。
「そっちが散々女だからという理由だけでチャンス奪ったんじゃん!」「出た出た! 結局、女のせい」「なぜ、そっちが変わらない?」「森氏と同じ穴のむじな。何も分かってない」などなど、批判が殺到した。
とにもかくにも重鎮の重鎮による重鎮のためのとんでも発言は、その後も「これでもか!」というくらい続いている。
自由民主党の二階俊博幹事長の「参加させるが意見はダメ」発言は、BBCで「Japan's LDP party invites women to ‘look, not talk’ at key meetings」という実に分かりやすいタイトルで報じられた(※日本語版サイトでのタイトルは「自民党、女性議員に党会議『見せる』が発言は認めず 方針表明」)。
他人を傷つける、自覚なき偏見
極め付きは、自民党の竹下亘元総務会長による橋本聖子氏を擁護した「セクハラと言われたらかわいそう。別にセクハラと思ってやっているわけではなく、当たり前の世界である」発言だ。
セクハラをしている側は、大抵の場合「セクハラと思ってやっているわけではない」。本人にとって「当たり前の世界」でも、相手にとって「当たり前の世界」でなければセクハラである。
目まいがするような一連の問題発言は、「無意識バイアス(アンコンシャスバイアス)=思い込み」の根深さを物語るものだ。
社会に長年存在した価値観や、外部から刷り込まれた価値観は、ときに自覚なき偏見となる。何気ない一言や、何気ない行動には、自分が自覚していない価値観が反映される。そして、その自覚なき価値観=偏見が、“刃”となって他人を傷付ける。
例えば、「育休から復帰した社員には、なるべく負担のかからない仕事の方がいい」とワーキングマザーを気遣う人は多い。だが、それを「期待されてないように感じる」女性だっている。あるいは「女性には残業はさせられない。若い男性にやらせよう」と若い社員に身代わり残業させる人は少なくない。だが、女性だって残業したいときがあるかもしれないし、若い男性にだって「残業できない理由」があるかもしれない。
これらはどちらも「良かれ」と思ってやったこと。だが、当人には「良かれ」じゃなかった。すべて無意識のバイアスによるものだ。
- キャビンアテンダントというと、女性を思い浮かべる
- 米国人男性というと、背の大きい人を想像する
- 女性は男性より細かい
- 男性は機械に強い
というのも無意識バイアスである。
私は以前、黒人の友人とカラオケに行き、歌が上手でなかったことにショックを受けた。これも無意識バイアスだ。
また、女性が積極的に意見を言うと「自己顕示欲が強いよね~」「強烈だよね~」と非難されるが、男性の場合は「リーダーシップがある」と評価されるのも無意識バイアスだし、「女性の方が細かいし、気が利く」という理由で、本人の意思とは関係なく秘書や広報をやらせるのも無意識バイアスが影響している。
「女性たち自身が昇進を望まない」「人材がいない」と決まりごとのように言う人は多い。
だが、それって本当なのだろうか? と疑う人は少ない。
「頑張らない」のを社員のせいにする
「人は昇進を望んで当たり前」という無意識の価値観、「管理職、役員、かくあるべし」という固定観念が、むしろ「昇進を望まない女性」をつくってしまっているのではないか。
私は女性のリーダーたちを対象に研修会やらセミナーやらをやっているが、彼女たちが苦しんでいたのはまさにそれだった。上司から「もう少し積極的に発言しろ」「もっと毅然と話せ」「もっと論理的になれ」といった、かくあるべし論をアドバイスされ、自尊心を低下させていた。
「だから女は……」と言われたくないからと、肩に力を入れ、頑張りすぎて空回りしている人たちもいた。
男性だって、全く同じだ。「男なら誰だって昇進したい」というのは、無意識バイアスでしかない。シングルファーザーで、夜の付き合いをしなくてはいけないポジションは難しいという人だっているかもしれないし、「自分はリーダーに向いてない」と自信のない人だっているかもしれない。だいたい、数年前にはもっぱら、「最近の若者は管理職になりたがらない」と、若い男性のことを嘆いていたではないか。
果たして、一人ひとり違うであろう、昇進を望まない理由に耳を傾け、彼女や彼らの意見から学ぼうとしただろうか?
トップがすべきことは、「はい!私にやらせてください!」と手を挙げる人を育てるために汗をかくことだ。汗をかいてかいてかきまくる。それをやらない人が「社員のせいにする」。
「女性たち自身が昇進を望まない。人材がいない。女性だからといってげたを履かせるわけにはいかない」と嘆く前に、社員の潜在能力を引き出す努力をしたのか?
リーダーになるための十分な教育と訓練をして、実際の業務では裁量権を与え、「リーダーになってみたい」というモチベーションが高まる成功体験をさせる。女性はインフォーマルなネットワークを持っていないケースがあるので、その機会の提供をする。その上で、「彼女(彼)らに本気でリーダーになることを期待している」というメッセージを伝え続ける。
これらはすべてトップの「お仕事」である。
そして、何よりも、本当に何よりも肝心なのは、トップ自身が「自分はひょっとしたら無意識バイアス越しに社員を見てしまってはいないか?」と疑うことだ。
無意識バイアスがもたらすのは「能力発揮の機会の喪失」と「人権の侵害」である。無意識バイアスがはびこる組織では、少数派や影響力の弱い人たちが不利益を被りやすい。だからこそ、「数」が問題なのだ。
無意識バイアスを破るには
「数」の影響力が極めて大きいことは、世界中の研究結果が一貫して証明している。
- 集団における女性の割合が10%未満、すなわち「紅一点主義」は人権をも無視されるリスクのある極めて危険な環境。
- 同10~15%未満の場合、集団内のマイノリティーとしての地位が与えられるが、意見を言っても無視されたり、相手にされなかったりするため、目に見えない分断が組織内に生じる。
多数派の男性たちは「女性たちは結束すると面倒くさい」「女性たちは徒党を組むから怖い」「女性は勝手だ」などと、偏見から来る“女性の特徴”を言い始め、自分たちの優位性を保とうとする。
- 同30%になると、男性たちは女性たちを「サブグループ」と認め、「女性の視点は興味深い」など、徐々にプラスに評価する傾向が強まる。サブグループの女性たちも息苦しさから解放され、勇気を出して意見する。
- 同35%になると多数派はただ単に「数が多い」だけのグループになり、40%になると、バランスが均衡する。
職場で男だの女だのと区別されなくなる比率は「6:4」。男社会で女性が占める割合が同40%になって初めて男女の分け隔てが消え、個人の資質や能力が正当に評価される。
別の言い方をすれば、女性が4割を占めれば「無意識バイアス」は薄れ、女性は「個」として本当の力が試されることになる。
女性の多い職場では、上記の「女性」を「男性」に置き換えれば全く同じことが起こる。
大卒の多い職場では「非大卒」が、年齢層が高い人が多い職場では「若い人」が、生え抜きの多い職場では「転職者」が、無意識バイアスで涙する。
それだけではない。
無意識バイアスは、長年本人の意思とは関係なく刷り込まれた価値観なので、実にやっかいで、自分の行動でさえも制限してしまう代物なのだ。
ある企業に勤める女性は、子供が小学校に上がるとき学童保育園が近くになかったので、「働き続けるのは難しい」と考え、退職願を上司に出した。
ところが、彼女は運が良かった。
彼女の上司は「本当に辞めるしか選択肢はないのか。外資系企業や欧州の女性たちはどうしているのか? 在宅勤務などと組み合わせられないのか? 情報を収集して辞めなくていい働き方を考えてみて」と指示を出した。
トップこそ学ぶ必要がある
その結果、彼女は「自分は働き続けていいんだ」と思うことができた。海外や他社に学び、「自分が働き続けるために必要なこと」をとことん考えた。そして、それを上司に報告し、上司は彼女が働き続けるために必要な制度をつくり、彼女が必要なリソースを提供した。
彼女が自身の「無意識バイアス」により制限しようとしたことが、「無意識バイアス」のない上司により、彼女だけでなく彼女の組織が進化することにつながったのだ。
こういうことの積み重ねが、真の働き方改革であり、多様性のある組織づくりにつながっていく。
当然ながら、こういった上司・部下関係のある組織をつくるには、トップ自身が率先して学ぶ必要がある。
ダイバーシティー、多様性という言葉を知らない組織のトップや政治家はいないだろう。
しかしながら、一体いかほどの人たちが、ダイバーシティーや多様性が「なぜ、あるべき姿なのか」をきちんと理解しているだろうか。
「こんなこと言っちゃいけないのでは?」と心配する必要のない組織。
一人ひとりと向き合い、彼らの意見、悩み、弱点に真摯に耳を傾ける組織。
「自分とは違う人」から学び、チーム、組織自体も学びを重視する組織。
こんな組織をトップが汗をかいてつくることで、初めて多様性の長所が生かされる。
社長さん自身の無意識バイアスをなくす努力なしに、多様性も、生産性向上も、ましてイノベーションなど実現するわけがない。
「平等とは自由であること」であり、差異を前提とし、一人ひとりを尊重することだ。人権とは「誰もが自由と幸せを手に入れる権利」だ。
人は外見、体格、生活状況、趣味、性別、言語などでさまざまな違いがある。女性と男性では、ホルモン、性器、染色体などが身体的・遺伝的に異なっている。
だが、さまざまな違いはあっても人は「人」。自分と同じ「人」だ。
無意識バイアスをなくすことは、極めて難しい。というか、おそらくなくならないであろう。
だからこそ、一人ひとりと向き合い、互いに尊重し、自分とは違う考え、価値観、意見から学ぼうという努力が大切なのだ。
『コロナショックと昭和おじさん社会』(日経プレミアシリーズ)
本コラムに大幅加筆のうえ新書化した河合薫氏の著書は、おかげさまで発売から半年以上たっても読まれ続けています。新型コロナ禍で噴出した問題の根っこにある、「昭和おじさん型社会」とは?
・「働かないおじさん」問題、大手“下層”社員が生んだ悲劇、
・「自己責任」論の広がりと置き去りにされる社会的弱者……
・この10年間の社会の矛盾は、どこから生まれているのか?
そしてコロナ後に起こるであろう大きな社会変化とは?
未読のかたは、ぜひ、お手に取ってみてください。
この記事はシリーズ「河合薫の新・社会の輪 上司と部下の力学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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