新型コロナウイルスの感染拡大が長引き、経済も不透明さを増している。
感染拡大を防ぐためとはいえ、リミット(限界)のない非日常の生活は耐え難い苦痛だ。感染者数が落ち着いていた昨年秋頃には、日常生活を取り戻せるのでは、という一縷(いちる)の光が見えていただけに、今の状況は余計にこたえる。結局、この1年、踏ん張ってハシゴに乗っては急に外され、小道を見つけて進もうとした途端、足を引っかけられ、三歩進んで五歩下がるといった状況が続いている。
しかも、やっかいなことに、“この感情”は必ずしも、すべての人に共有されない。
コロナはすべての人たちから平等に日常を奪ったけど、その生活への影響度合いは平等ではなかったことは言うまでもない。
大人がつくった子ども社会の不合理
友人は、「マンションで人とすれ違うたびに『この人コロナの影響受けてる人』『コロナと全く関係ない人』って、選別するようになってしまった」という。コロナ禍で収入の減った人と増えた人、影響を受けまくってる人とほとんど受けなかった人。コロナ禍であらわになった“コロナ格差”なるものは、今後もますます拡大し、深刻化していくであろう。
そんな厳しさと並行して広がっているのが、コロナ疲れならぬ“弱者疲れ”。現実逃避だ。
先行きが見えない状況が1年以上も続き、今ある問題から目を背けたくなる。問題の根っこを掘り下げるより、次への一歩を模索したくなる。そんな現実逃避が広がっている。
私自身、コラムを書いていても「前向きな話題」だと集中できるのに、「今ある問題」を書いているとしんどくなる。解雇、雇い止め、賃金削減、非正規雇用問題などを取り上げるより、ワーケーションやらリモートやら、DX(デジタルトランスフォーメーション)やらを書いてる方が気が休まる。
かれこれ14年近く連載を続けているけど、こんな気持ちになったのは初めて。コロナの影響の大きさに自分自身、少々驚いている。
そんな中、18歳を対象に行われた「教育格差」に関する調査の結果が公表された(「18歳意識調査『第33回 – 教育格差 –』詳細版、日本財団 2021年1月7日」)。
「子どもは親を選べない」――。
これは「教育格差」について寄せられた、18歳の言葉だ。
この調査には「大人がつくった子ども社会の不合理」と、「冷たい雨にぬれた人しか、雨の冷たさが分からない」という悲しい現実が、数字と言葉でつづられていた。
いつだって社会の急激な変化は社会的に弱い立場の人を置いてけぼりにする。とりわけみんなが同じ方向に向かっているときは、こぼれ落ちる人を見逃してしまいがちだ。そして、それは大人社会より子ども社会のほうが深刻である。
なぜなら子ども社会は大人の社会の縮図であり、そのあり方は大人の責任だから。
というわけで、今回は「18歳の声」から、教育格差問題をあれこれ考えてみようと思う。
では、さっそく件の調査結果から見ていこう(一部抜粋)。※調査の対象は全国の17~19歳男女1000人。2020年12月1日~12月4日にインターネットで実施。
驚くべき教育格差の広がり
【学習環境について】
・「他の人に比べ学習環境に差があると感じたことがありますか」との問いに、「差がある」と回答したのは43.4%、「ない」は56.6%。
・「差があるとした理由」のトップは「集中して勉強できる環境が家庭になかった」が32.0%、「経済的な理由で塾や習い事に行けなかった」が22.6%で、「身近に勉強を教えてくれる人がいなかった」が21.9%と続いた。
【コロナの影響について】
・「コロナ禍で学習環境の差が広がったと感じるか」との問いには、「感じる」52.9%で、「感じたことがない」47.1%。
・「学習環境の差を感じたことがある」層では、68.0%が差が広がったと「感じる」と回答したのに対し、「差がない」層では41.3%で、もともと差があると感じていた人ほど、コロナの影響を認識していた。
……既にここまでの「数字」で、「冷たい雨にぬれた人しか、雨の冷たさが分からない」現実がお分かりになるであろう。が、これはまだ序の口。「教育格差」に関する問いでは、「持てる者と持てない者との“二分されっぷり”」に愕然とする結果が示されていた。
特に、自由コメント欄には「大人たち! よ~く聞けよ!」的コメントがあふれていたので、心して見てほしい(紹介するコメントはごく一部です)。
子どもは親を選べない
【学習環境について】
・「教育格差を感じたことがありますか」との問いに、「感じる」は48.9%、「感じない」は51.1 %。
・「教育格差の原因」を問うたところ、「感じる」層のトップは「家庭の経済力」の31.7%だったのに対し、「感じない」層のトップは「わからない」で30.3%だった。
・「今後、教育格差は広がるか」については、51.2%が「思う」と回答。「思わない」は9.3%。
・「教育格差を感じる」層では、67.1%が「思う」で、「思わない」は3.9%。
・「教育格差を感じない」層では、36.0%が「思う」で、「思わない」は14.5%。
【教育格差を感じるのはどんなときか?】(自由記述)
「お金が足りず塾にいけないとき」「テレビで塾などの様子が流れてるとき」「オンライン授業」「お金があれば能力が劣っていても留学したり選択肢が多い」「収入による環境の差別」「いつも」「受験のとき」「参考書を持ってる人を見たとき」「経済的な理由で模試を受けられなかったとき」……etc. etc
【教育格差の原因はなんだと思うか?】(自由記述)
「親が子を育てる。親が選んだ道を子は進む」「子どもは親を選べない」「自力でどうにもできない」「金がなければ塾も大学もいけない」「経済力がなければ勉強できない」「親の仕事がないので学費がない」「お金がなければ何も始まらない」……etc. etc
さて、いかがだろうか。
昔から、貧乏な子どもと金持ちの子どもはいた。だが、調査結果から分かる通り、親の経済格差が子どもの教育機会の格差を生み、その機会とは「塾に通う機会」であり、「模試を受ける機会」であり、「受験する機会」であり、「留学する機会」であり、「参考書を持つ機会」であり、そして、「差別される機会」でもある。
教育格差の原因を、私たち大人は「親の経済力の差」だと考える。
だが、それは大人目線の解釈であり、子どもの目線に立つと「自力でどうにもできない」現実が立ちはだかる。
「親の経済力の差」が教育格差を生むという現実は、「子どもは親を選べない」という重たくて切ない悲鳴に置き換わり、私たち大人は申し訳ないと謝るしかない。「親が子を育てる。親が選んだ道を子は進む」のだ。
日本における子どもの「相対的貧困率」は13.5%(厚生労働省 2019年「国民生活基礎調査」)で、先進国の中では高いグループに属している。相対的貧困率は、世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々の割合を示すものだが、平たく言うと「恥ずかしい思いをすることなく生活できる水準」にない人々を捉えたものだ。
みんなが塾に行ってるのに、自分は行くことができない。みんなは参考書を持ってるのに、自分は買うことができない。お金がなきゃ何も始まらない――。これらの言葉の裏にある子どもの心情に、大人はもっと向き合う必要があるのでないか。
持てるものとの壁、子ども時代に
そもそも教育格差を生む装置と化しているのが、 学校の外の教育活動、すなわち「塾」であるのだが、その現実は異常だ。
1カ月の学校外教育活動費の平均額は、幼児期から増え始め、ピークは中学3年生で、なんと2万5900円もかかる。お父さんの小遣いとあまり変わらないのだ。
世帯年収が「400万円未満」の世帯と「800万円以上」の世帯では、子ども1人にかける教育活動費の平均に3倍以上も差がある。世帯収入400万円未満世帯が3300円であるのに対し、800万以上では1万3800円だ(ベネッセ「学校外教育活動に関する調査2017」)。
もし、この調査で「親の経済力」がある家庭の子どもが、「なぜ、教育格差が生まれるのか?」さえ「わからない」と答えていたとしたら、持てる者と持たざる者の壁は、「子ども時代に出来上がってしまう」ことを示唆している。
これは、実に恐ろしいことだ。
「わからない」ことが、「低所得=努力してない人」といった、賃金の低さを個人の努力の問題とする意見につながりかねない。
非正規雇用が4割を占める時代になってもなお、社会の仕組みは「正社員」を基準として動き、非正規雇用と正社員との賃金格差が一向に解消されず、コロナ禍で浮き彫りになった「雇用の調整弁」としての非正規雇用問題は見て見ぬふりをされているのも、「わからない」から。経済力のある家庭で育った“エリート”は弱い立場の人々に共感する気持ちが育まれないまま、大人になる。そう捉えることは十分可能だ。
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