この問題には触れないでおこうと思っていた。が、100日のハネムーン期間をすぎてもなお、目に余り、少々耐え難いので、今回取り上げようと思う。
テーマは「自分の言葉で話すことができないリーダー」についてだ。
私は常々、「リーダーの言葉」の重要性を訴えてきた。
ところが、どういうわけかこの国のリーダーたちは“言葉”を持っていない。
はい、そうです。現在の“リーダー”菅義偉首相もその1人で、とにもかくにも「言葉のなさ」にがっかりされっぱなしなのだ。
リーダーの武器は「言葉の力」のはず…
国会では、常に原稿を棒読みし、ぶら下がり取材でさえ原稿を読み上げる始末だ。数日前から前を向いて話すようになったが、そこに「自分の言葉」はない。
「もともと、言葉ではなく行動で示すタイプ」だの、「新型コロナウイルス対策については、担当大臣が頻繁に会見しているので、自分がわざわざ目立たなくてもいいと考えている」だの首相の周辺の人たちは擁護しているようだが、リーダーが持つ言葉には、どんなにナンバー2が持とうとしても持てない重みがある。
リーダーの言葉で、部下は「ちゃんと自分たちのことを分かってくれている」「自分たちのやっていることを見てくれている」と安心し、「頑張ろう」と希望をもち、ためらわずに前進する勇気を持つことができる。
この「言葉の力」こそが、リーダーというポジションについた人だけが手に入れることができる、最高の武器だ。日本のリーダーである総理は、1億3000万人の国民に「勇気と安心と希望」を与える力を手にすることができるポジションである。
なのに「自分の言葉」がない。
「9月16日~12月1日の間、記者団によるぶら下がり要請は少なくとも33回あり、うち首相が応じたのは『就任1カ月の受け止め』など20回だった」(12月3付西日本新聞より)というけど、一度も「自分の言葉」で語らなかった。
国会閉幕前の12月4日の記者会見も、「私たちはやっている」「専門家の意見を聞いている」といった自己弁護まがいの発信ばかり。しかも、答えにつまると「その件については答弁を差し控えたい」と繰り返すだけ。一方的に、コミュニケーションを拒否している。
大抵、コミュニケーションを拒否するのは、都合の悪いことがあるときか、相手が眼中にないときだ。
今こそ求められているコミュニケーションの機会を、自ら率先して逃してどうするというのだろうか。
「皆さんに静かなマスク会食をお願いしたい。私も今日から徹底をしたい」と語ったときの「私」という言葉にさえ、“温度”が感じられなかった。
“温度”が感じられない首相の言葉
新型コロナの感染拡大で医療現場が逼迫し、外出自粛で次々と企業が倒産し、たくさんの人たちが仕事を失い、10月の全国の自殺者数は2153人で、同月までの新型コロナ感染による死亡者数1770人を上回った(同時期の累計)。介護業界では訪問介護のヘルパーさんが続々と離職して9月時点の有効求人倍率が15倍になり、施設の倒産件数も過去最多だ。
医療現場の医師たちが忙しい中、連日のようにメディアの取材に答え、医師や看護師たちが再び“戦場”と化した現場の厳しい状況を伝え、「このままでは救える命が救えなくなる」と訴えている。
GoToトラベルが一時停止されたり、時短営業を要請されたり、「もう持たない」という不安の声が、観光業界や飲食店の人たちから相次いでいる。
この不安な状況で、今、メッセージを伝えなくていつ伝えるのか?
厳しい状況であればあるほど誠意あるコミュニケーションが求められるのに、「国民目線」という言語明瞭意味不明の言葉の「国民」が、誰をさしているのかさえわからない。
……悲しいかな、我が国の“リーダー”には、「私」たちが見えていないのだ。
8年間“リーダー”だった安倍晋三前首相のときも、「安倍さんほど言葉に温度のない人は見たことがない」と常々感じていたけど、たった1回だけ安倍前首相の「言葉」が胸に刺さったことがある。
それは北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの父親である横田滋さんが他界されたときの言葉だ。
「帰国された拉致被害者の方々は、御家族の皆さんと抱き合って喜びをかみしめておられた。その場を、写真に撮っておられた、滋さんの目から本当に涙が流れていたことを、今でも思い出します」という言葉は、現場を共にした安倍さんにしか語れない言葉だった。
その言葉があまりにも切なく、現場に寄り添ったものだったので、「安倍さんはいつもこうやって話してくれればいいのに」と思ったほどだった。
言葉は「思いを乗せる船」
もっとも、安倍前首相はリーダーとして、「滋さんが(妻の)早紀江さんと共にその手でめぐみさんを抱きしめることができる日」を実現できなかった。だが、リーダーに問われるのは「行動」であって、「行動」だけではない。
リーダー自身が「自分のやるべき役割」に徹しながらも、メンバーと“共にいる”ことが必要なのだ。
リーダーがリーダーシップを発揮するには、「このリーダーと共に戦おう」とメンバーが心を寄せないと無理。どんなに「お願い」されたところで、そのお願いに従う気にならない。
「言葉ではなく行動で示すタイプ」だの「自分がわざわざ目立たなくてもいい」だの言ってる場合じゃない。そこに「言葉」がなければ届かない。
そもそも「言葉」とは、心の中の思いを乗せる船のようなもの。人はその思いを伝えたいから、いちばん自分の思いに近い船を探し、メッセージを送るのだ。
逆説的に言えば、伝えたい思いがなければ船を探すこともない。それ以前に、共にいなければ伝えたい思いも沸き立たない。
ある有名な中小企業のトップとして業績を上げたものの、部下たちのクーデターで辞任に追い込まれた経験を持つ男性が、自戒を込めてこう話してくれたことがある。
「僕が前職で失敗したのは、用事があるときだけ部下を呼びつけ、物理的に関係を遮断していたからなんだ」と。
「社長も人の子。人は人との関わりがなくなると周囲が見えなくなる。自分のことも、社員のことも見えなくなって、数字だけを追うようになっていくんです。経営者は孤独とよくいうけど、物理的に孤立していることが問題なの。孤立してれば孤独だろうし、孤立してちゃ経営はできない」――。
こう男性は苦い経験を振り返った。
五感を共有する「場」が必要だ
どんなに高い知性と、先見性と、並外れた能力を持っているトップでも、“人”。
人は誰しも過ちを犯す。感情的になることもあれば、傲慢になったり、保身に走ったりすることもある。その弱さを克服するために、人は他者とつながり、他者と協力することで生き延びてきた。信頼という関係性を築くことで、愚かになったり、自分勝手になったりする際の保険を掛ける。
他者とつながるにはその場の空気、すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感を共有できる“場”が必要不可欠だ。
企業のリーダーであれ、一国のリーダーであれ、同じだ。「経営と政治は違う」だの「企業の話を国の話に用いるのはおかしい」だのと言う人がいるけど、そこに“人”がいる以上同じだ。
リーダーの言葉は、メンバーたちの声でもあり、リーダーには、メンバーの代弁者にもなる「言葉」が必要なのだ。
世界中から注目を浴び、称賛されたニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相の「言葉」を思い出してほしい。
アーダーン首相はいち早く国民につながる“場”をつくり、一貫して国民と「共」に居続け、「自分の言葉」でメッセージを送り続けた。
非常事態が宣言された3月25日の記者会見では、
「あなたは一人ではありません。私たちはあなたの声を聞きます」
「あなたは働かなくなるかもしれません。でも、仕事がなくなったという意味ではありません。あなたの仕事は命を救うことです」
「人に優しく。家にいましょう。そして、感染の連鎖を断ち切りましょう」
と、“あなた”に語りかけ、「私たちが指示することは、常に完璧ではないでしょう。でも、私たちがしていることは、基本的に正しいものです」と、自分の役割を訴えた。
イースターのときに、子どもの抜けた歯を硬貨と交換してくれる「歯の妖精」も、外出制限によって活動できないのではないかと心配する子どもたちに、「歯の妖精も、イースターのうさぎもエッセンシャルワーカーです。でも、この状況では、自分たちの家庭のことで忙しいかもしれません。だから、各地を訪れるのは難しいということを理解してあげないといけませんね」と、“あなた”=子どもに答えた。
……なんてすてきなんだろう。
アーダーン首相は、「どうか強く、そしてお互いに優しくしてください」と繰り返していたけど、その“メッセージ”がきちんと伝わるよう、透明性のある情報と科学的な予測をつまびらかにし、「何を根拠に、そういった決定がなされたのか?」を分かりやすく、すべての人が理解できる自分の言葉に置き換えた。
論理だけじゃだめ、感情だけじゃ物足りない。論理と感情が誠実さで結びついたとき、初めて相手に届くメッセージが生まれるのだ。
都度、最善策にアップデートする
特に、今回のコロナのような緊急事態では、マメに透明性のあるメッセージを発信することが大切だが、アーダーン首相はときにジャージー姿でSNSを使い、スピーチではなくメッセージを発信し続けた。ついつい私たちは現状を過小評価したり、見たい情報だけ見たりして自分の正当性を主張したくなるものだが、アーダーン首相にはそれがなかった。
その即時性と客観性も、多くの人たちからの「信頼」につながったのだろう。
そしてもう1つ、緊急時に最もリーダーが気をつけなくてはいけないのは、「リーダーたるもの、決めたことを覆してはならない」という大いなる誤解だ。
次々と事態が変化するときには、その都度最善の選択にアップデートすることが、メンバーから信頼を得るのに必要不可欠だ。そのためリーダーには不測の事態の中でもあらゆるルートでエビデンスを積み上げ、最悪のシナリオに基づく「勇気ある決断」が求められる。
……“第3波”がくるのは分かっていたことなのに、我がリーダーにはその備えもなかった。え?ちゃんとある、って? 国民に伝わってないだけだって?
伝わらなければ意味がない。それは「ない」ってことと同じだ。だからこそのリーダーなのだ。
と、ここまで書いていて、「ん?これって以前にも、同じようなことがあったような気がする」とデジャブに襲われ、過去の原稿を検索したところ……、はいはい、ありました!
東日本大震災のあと、“菅直人首相”のときに書いた原稿である。
「かん」と「すが」。どちらも「菅」だった!!
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未読のかたは、ぜひ、お手に取ってみてください。
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