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 そして、2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭でパンとジュースを買い、母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町かいわいを歩き、河川敷へ向かった。

 男性「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」
 母親「そうか、あかんのか……。一緒やで。お前と一緒や」
 男性「すまんな。すまんな」
 母親「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」

 男性はこの会話を最後に、母親を殺害し、自らも包丁で切りつけるなどして意識を失った。数時間後、通行人が2人を発見し、男性だけが命を取りとめたという。

 この事件は、4月19日、京都地裁で初公判が開かれ、地域の住民や関係者から126人分の嘆願書が提出され、メディアの注目を集めた。……覚えている人も多いかもしれない。

裁かれたのは被告だけではない

 何よりも衝撃的だったのは、6月21日に行われた3回目の公判で、裁判官が被告人質問で男性に「同じような事件が後を絶たないのはなぜか」と聞いた際の答えだ。

 「できるだけ人に迷惑をかけないように生きようとすれば、自分の持っている何かをそぎ落として生きていかなければならないのです。限界まで来てしまったら、自分の命をそぐしかないのです」(毎日新聞大阪社会部取材班『介護殺人 ~追いつめられた家族の告白~』(新潮文庫)より)。

 結局、京都地裁は男性に懲役2年6カ月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡し、裁判官は国にこう、苦言を呈した。

 「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と。

 そして男性に、「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないよう、母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」と語りかけたという。

 繰り返すがこの事件が起きたのは、2006年1月である。この事件の6年前、国は介護保険を導入した。しかし、介護保険の効果について分析した研究では、「支援が必要な高齢者に対するケアの充実が図られたが、介護殺人の件数が減少する傾向は一切認められていない」ことが分かっている(湯原悦子氏の論文「日本における介護に関わる要因が背景に見られる 高齢者の心中や殺人に関する研究の動向」より)。

 また、1998年から2015年までに発生した介護殺人の件数は716件で、件の事件のあった2006年は49件と過去最悪を記録。その後、2008年には54件発生するなど、50件前後で推移している(湯原悦子氏の論文「介護殺人事件から見いだせる介護支援の必要性」より)。