(写真:Shutterstock)
(写真:Shutterstock)

 書こうか書くまいか散々悩んだ結果、やはり書こうと思う。

 なぜ、悩んだのか?
 一つには、何から書いていいか分からないほど、「絶望」に近い感情を抱いたこと。そして、もう一つは、どうしたら伝えたいことが伝わるか、最善の方法が見つからなかったからだ。

 が、今書いておかないと後悔しそうなので、書きます。
 テーマは「人さまに迷惑をかけるな!」といったところだろうか。

 まずは、遡ること14年前に起きた、忘れることのできない“ある事件”からお話しする。

 2006年2月1日、京都市伏見区の河川敷で、認知症を患う母親(当時86歳)を1人で介護していた男性(当時54歳)が、母親の首を絞めて殺害した。自分も包丁で首を切り、自殺を図ったが、通行人に発見され、未遂に終わった。

 男性は両親と3人で暮らしていたが、1995年に父親が他界。その頃から、母親に認知症の症状があらわれはじめる。一方、男性は98年にリストラで仕事を失い、親子は親族の好意で家賃を半額にしてもらい、月3万円のアパートに引っ越した。
 その後、男性は非正規で働くことになるが、母親の認知症は悪化。昼夜逆転の生活になり、男性は慢性的な睡眠不足に陥ることになる。

 しかし、生活費のためには仕事を辞めることはできない。そこで男性は介護保険を申請し、母親は自宅近くの施設でデイケアサービスを受け、男性はどんなに寝不足でも朝には会社に行き、仕事と母の介護に追われる日々を過ごすようになる。心身ともに疲弊しても、決して仕事を休むことはなかったそうだ。

仕事と介護の両立求めて職安へ

 そんなある日、男性が仕事に行っている日中に、外出した母親が道に迷って警察に保護された。その後も同様の事態が繰り返し起きたため、男性は仕事を休職して、介護に専念することになった。

 収入が途絶えて生活が困窮する中、男性は「せめて復職するまで生活保護を受給できないか?」と役所に相談した。ところが、職員から「あなたはまだ働ける身体なのだから頑張って」と諭され、生活保護支給を断念する。当時の報道によれば、「休職中だったため認められなかった」という。

 母親の症状はさらに進み、男性は仕事を辞め、再び役所に「生活が持ち直せるまで、しばらくの間だけでも生活保護を受給できないか」と相談した。しかし役所側は、「失業保険の受給」を理由に拒否。男性は母親のデイサービスを打ち切るなど、介護保険の自己負担をギリギリまで抑えながら、介護と両立できる仕事を求めて職安通いをするが、仕事は見つからなかった。

 なんとかカードローンなどで生活費を工面したが、限度額を超え、男性は追い詰められるようになる。自分の食事を2日に1回にして、母親の食事を優先し、この頃から心中を考えるようになったそうだ。

次ページ 裁かれたのは被告だけではない