もし、母が介護施設に入るくらいになっていれば、別なんでしょうけど、そこまでひどくない。人と話すことに問題はないし、歩くことにも問題はなし。食事もインスタントだろうとなんだろうと、とりあえずは自分で作れます。

 そう考えると、自分が頻繁に帰省するしかないという結論になる。

 仕事があるので、週末だけ帰省しようかと考えているのですが、行きたくないという気持ちもあります。今度は母に手を上げてしまうんじゃないか、と思うと、怖くなってしまうんです。

 母も内心は帰ってきてほしいでしょうけど大丈夫というので、そのたびに、とりあえず自活できてるし、と自分に言い聞かせ母から逃げてるんですよね。

 いつかは介護と考えてはいましたが、介護というほどでもない母の状態にどう向き合えばいいのか。親戚もみな遠くに住んでいるので、頼ることもできません。

 この先のことを意識的に考えないようにしてる自分もいて、自分が恐ろしくどうしようもない奴のようで、いやになってしまうのです」

 ……男性は誰にもこのことを話せなかったという。

「親は元気でいるのが当たり前」が崩れるとき

 最後は「話を聞いてもらって少し楽になった」と言っていたけど、親の変化と向き合うのは本当に難しいことだ。

 だいたい「親との生活」なんてものはせいぜい20歳くらいまでで、その後は「親は元気でいるのが当たり前」という日常を何十年も過ごす。その当たり前が、親が老いることで当たり前じゃなくなるのだ。私自身、父の変化のあとは、母親との時間が莫大に増え、心の奥底は常に「母親」に陣取られ、「ああ、親のことなど気にせず、自分のことだけ考えてた日々が懐かしい」などと現実逃避したくなることも多い。

 とにもかくにも、年をとった親との向き合い方は、実に難しい。と同時に、「親と子」という関係性が変わっていく現実も、なかなか受け入れがたいものだ。

 特に、「母親と息子」の場合、「娘」とは愛情の形が少々違うので、難しいように思う。

 私の友人は「あんなに無条件に私を愛してくれる男(=息子)がこの世にいるなんて信じられない」と息子をめでまくり、その息子が反抗期になったときには、息子のひどい言動に傷つき、「反抗期ってさ、親が子離れするためにあるんだよ」としみじみと話していたし、私自身、「母親の兄と私への愛情の違い」を感じてきた。「父親と娘」もしかりで、父親は私に声を荒らげたことはないけど、兄にはかなり厳しく、“昭和のオヤジ”そのものだった。

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