院長の説明によると、その患者さんは3月5日から発熱を繰り返していたものの、その他の症状から誤嚥(ごえん)性肺炎と診断された。ところが、3月21日に1つの病棟で複数の患者さんが発熱したため、保健所に相談し2人の患者さんのPCR検査を実施したところ、新型コロナウイルスに感染していることが分かった。

 その後は次々と発熱患者が相次ぎ、発熱者以外にも感染していることが判明した。しかし、PCR検査をすぐに受けられない患者さんもいて、結果が出る頃にはすでにウイルスが蔓延(まんえん)していたという。

 記者会見では、その他の入院している患者さんに感染が広がる様子が、病床のイラストで示された。そこからは感染拡大の速さと、感染しても発熱しないという新型コロナウイルスの特性が状況をさらに複雑にさせていたプロセスがよく分かった。

 4月上旬になると、看護師やスタッフにも感染が広がり、陽性患者さんの隔離やスタッフの自宅待機などで人員が足りなくなり、新たなスタッフの補充などに追われることになる。並行して、急激に状態が悪化し、深刻な事態になる患者さんも出てくるようになったという。

スタッフ全員の働きを地域も支えた

 会見で示された「PCR陽性入院患者数の死亡・転院・治癒」を時系列で示したグラフを見ると、亡くなった患者さんが4月上旬に集中していたのは一目瞭然だった。おそらく、その間の現場は戦場以外の何ものでもなかったはずだ。

 そもそも永寿総合病院は、大学病院など高度医療機関から転院となった治療歴の長い、免疫機能が大幅に低下した高齢者が多い。院長によると亡くなった43人の患者さんの約半数に血液疾患やがんなど様々な疾患があり、アビガンやフサンなどの治療薬を早くから使用したが、効果が乏しかったそうだ。

 また、記者会見では、コロナ感染拡大の実態、原因などに加え、“戦場”を支えてくれた人たちのことも語られた。

  • 地域の人たちが寄付をたくさんしてくださったことで、感染防止対策のマスクなど必要なものをそろえることができたこと、食事を提供してくれたり、「がんばれ!」とエールを送ってくれたりしたことで乗り切れたこと。
  • そういった地域の支えがあってこそ「地域医療」が成立することに気づかされたこと。
  • 毎朝、完全感染防護服に身を包んで、明るく「がんばってきます!」と病棟に向かう看護師たちに、かける言葉が見つからず「彼らにこのような任務を背負わせたことに、院長として非常に申し訳なく思った」こと。
  • ガウン型の防護服が足りず、職員たちが自ら作ったこと。
  • 職員たちがリネンの運搬や院内の清掃などをやっていたこと。
  • 永寿総合病院に勤めていることで、アパートを退去させられたり、子どもを預けるのを断られたりするスタッフがいたこと。……etc.etc.

  病院のスタッフと地域の人たちの全員で、危機を乗り越えていたのだ。これは“美談”でもなんでもない。実際に、戦場で起きていた“事実”だ。病院という医療の現場を超えて、「人」として多くの人たちが関わり、それぞれが目の前のできることを必死にやっていたのである。

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