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 そういった意見が出てしまうのは、貧困問題を語るときに、使われる「相対的貧困」という言葉のニュアンスにあると私は考えている。つまり、「貧困っていっても、相対的貧困でしょ?」と。「その日に食べるものがなくて困ってるわけじゃないだろ」と。つまり、「相対的」という言葉が、貧しさのリアルをぼやかしてしまうのだ。

 ご承知のとおり、相対的貧困は、絶対的貧困=1日2ドル未満で生活する人々(世界銀行の定義)とは異なり、「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々」のこと。平たく言うと「恥ずかしい思いをすることなく生活できる水準」にない人々を捉えたものだ。

 その水準の目安となるのが貧困ラインで、日本の場合、122万円程度になる(国民生活基礎調査)。月額にすると10万円(単身世帯の場合)。たった10万円だ。月に10万円の収入では普段から貯金するのは難しい。となれば、今回のコロナ禍のような突発的な出来事に耐えられるわけがない。

 この10万円という金額を念頭に、改めて次の数字の重みを考えてみてほしい。

  • 日本の相対的貧困率はG7(先進7カ国)でワースト2位
  • ひとり親世帯に限るとOECD(経済協力開発機構)加盟国35カ国中ワースト1位
  • そして、日本の母子家庭の母親の就業率は、84.5%と先進国の中でもっとも高いにもかかわらず、突出して貧困率が高く、アメリカ36%、フランス12%、英国7%に対して、日本は58%と半数を超えている(OECDの報告より)

相談に行ったことがさらなる貧困のきっかけに

 日本も含めた先進国の貧しさは「目に見えない」。とりわけ日本では、働いているのに貧困、すなわち「ワーキングプア」が多いので、余計に見えなくなる。

 さらに、貧困の問題は「そういう人はなぜ、生活保護を受けないのだろう?」「シングルマザーの貧困は養育費をちゃんともらえばかなり解決できるのでは?」といった疑問で矮小(わいしょう)化され、個人の責任にすり替えられがちだ。

 数年前、就職氷河期に非正規社員の道を余儀なくされた人たちが、「助けて」と言えずに孤立したり、食事も取れずに餓死するという事件があった。この時代に「餓死する」とは、信じがたい出来事だが、取材する中で、生活保護の相談に行ったことが、孤立の引き金になった人がいることがわかった。

 「まだ、若いんだから、もう少しがんばって仕事探してみなさい」──。

 こう言われたことで、二度とSOSを出せなくなってしまったのだ。

 彼らは一見すると健康に見える。何よりも若い。なので、相談された人も「もう少しがんばって」と励ました。

 だが、彼らの心は既にズタズタだった。藁(わら)をもつかむ気持ちで相談にいったのに、「がんばって」と突き放され、心も体も金縛りにあったように動けなくなってしまったのだ。