新型コロナの感染拡大が始まった当初から、「PCR検査が受けられない」「なぜもっとできないのか」という不満が相次ぎ、専門家の先生たちも「保健師の補充、人員を増やすことを早急にやってほしい」と国に訴えてきた。しかしながら、厚労省は地方自治体に「通達」を出すばかりで、具体的に動くことはなかった。

 本来、公衆衛生は、国や自治体の役割が極めて重要なのに、これまで公衆衛生を軽視し続けたツケを現場に丸投げし、責任を放棄したのだ。

 厚労省が「そもそもの問題」を解決することなく、「感染が疑われる場合は、まず最寄りの保健所へ」と言い続けたことで、コロナ感染が疑われる人たちが医療機関をたらい回しにされたうえ重篤化してしまったり、検査が受けられないケースが多発し、保健師さんたちが非難されたりするという、理不尽を生じさせている。

 ましてや、「PCR検査がなぜ増えないのか!」と騒ぎ立てる日本中の人たちや、マスコミに対して一言も「保健所の人員が不足していることが、さまざまな問題を生んでいる」という情報を出すことがなかった。

 今回修正された厚労省が毎日発表する感染状況の資料にも、「症状有無確認中が続発している」という情報はいっさい書かれていない。

 だいたい感染状況の把握は誰の責任のもとで行われているのか?

情報の不透明さが招いた混乱

 メディアには発表されたものをただ横流しするだけではなく、社会に混乱が生じている根本原因を突きつける報道を最初から徹底してやってほしかった。が、そこに期待したところで、問題の本質が変わるとも思えない朦朦たる「不透明の壁」が立ちはだかっている。

 情報を透明化することは、今回のような緊急時では、厚労省にとっても良い面があったはずだ。透明化された情報を出さなければとなったら、数字の扱いにも慎重になる。情報を受け取る方も、変な臆測をしなくなり、仮におかしな点があれば、それを指摘することだってできる。

 集計方法をどんなにデジタル化したところでミスが出ることはあるし、感染拡大に伴い必要な情報が変わることがあって当然だろう。そんなときに修正が行われても、透明性のある情報が常に出されていれば「それはそれ」として冷静に受け止めることができる。

 先の原発事故の際に情報の透明性は散々問題視されてきたのに、何一つ過去の教訓が生かされていない。そして、情報の不透明さが恐怖をあおり、不安を募らせることも一切学んでない。

 ニューヨーク州のクオモ知事が世界から注目されているのは、知事が透明性のある「数字」を出し続けたからにほかならない。感染者数や死者数のみならず、必要な防護服や医療用フェースシールド、手袋、人工呼吸器などの数字を具体的にあげ、足りない状況でどうやって対処しているのか、どうやって問題を解決しているのかを訴え、自らの言葉でコメントすることを繰り返した。

 正確な数字にこだわり、自ら動いて数字を把握するために汗をかいた。そして、ただの数字に終わらせないために、「数字=現状」と「数字=見通し」から、緊急性を訴えた。

 安倍首相は14日に行われた記者会見で、「私の責任は国民の命を守ることだ」と語っていた。その「命」とは? どこの何を見て「命」としているのか。感染者の数字はただの数字ではない。一人ひとりの大切な「命」だということを分かっているのだろうか。

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この記事はシリーズ「河合薫の新・社会の輪 上司と部下の力学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。