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 少々ややこしい話ではあるが、「カネの欠損がリソースを複合的に欠損させる」ことに間違いないのだけど、カネさえあればいいってわけでもない。以前、「食べるのに困る家は実際はない。今晩、飯を炊くのにお米が用意できないという家は日本中にない。こんな素晴らしいというか、幸せな国はない」とのたまった政治家さんがいたけど、貧困とは金の問題であって、金だけの問題ではないのである。

 「自分には信頼できる人がいる。自分にほほえんでくれる人たちがいる」という確信を、社会が、「私たち」がつくっていくことも格差問題に向き合うには大切なのだ。

 そして、もう一つ。この先に懸念されることを話しておく。

 格差問題では、相対所得による影響も考える必要があるってこと。

 所得格差が大きい社会では、個人の所得水準や年齢、学歴、婚姻状態に関係なく、「主観的な健康感の低い人」が増え、そういった人たちの死亡率が高くなることが多くの国内外の研究で確認されている。

後手に回った介護分野への対応

 主観的な健康感は、「あなたの健康状態はどうですか?」という問いに、「(まあ)いい」か「(あまり)よくない」で答えるもの。病は気からとはよく言ったもので、病気を患っている人でも「いい」と答えた人は、「よくない」と答えた人より、予後がいいという報告は以前からあった。

 ところが、所得格差の大きい国や地域では、肉体的に健康な人でも「よくない」と答える人が増えることが分かった。その背景にあるのが、「相対的所得格差」。平たくいうと「なんであの人はあんなにもらってるのに、自分はこれだけしかないんだ」という不満だ。

 日本では、1990年代のデータではそういった関連が一切認められなかったが、非正規雇用などが増え、所得格差が広がった2000年代のデータを使った分析では関連が見いだされている。

 比較するのは同じ会社の中の他者だったり(正社員vs非正規社員)、会社規模による他者だったり(大企業vs中小企業)、同級生だったり、同じ地域に住む近隣の人々だったり、時にはメディアで頻繁に見る人だったりすることがある。

 どんなに格差なき社会を追求したところで、格差が完全になくなることはない。だが、格差が広がることは、人が健全に暮らすためのリソースの欠損につながる。格差社会は「持てる人」の健康をも脅かす凶器になる。

 では「私」にできることは何か? まずはストレスの「冷たい雨」に降られている人を想像すること。そして、他者のリソースの一つになる「私」を考えることだと思う。

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