とにかく骨が折れる。しんどい。が、それ以上の収穫もある。レフェリーとのやり取りでは学ぶことが多く、論文が掲載されるまでの間にわずかながらも研究者として成長できる。博士号を取得するには、自分の大学に博士論文を提出し審査してもらうだけではなく、海外のジャーナルに原著論文があることも審査の対象になる。

 博士課程に進学しても、博士号を取得せず満期退学する人も多い。だが、このチャレンジの繰り返しこそが、博士号取得者と満期退学者の違いだ。あくまでも「知の体力」の差。そして、この知の体力こそが、「その先の仕事」に生きる。単なる知識の多寡ではなく、知の体力だ。

 「博士号は足の裏の米粒のようなもの」──。私は博士課程に進学したとき、先輩にこう言われた。「博士号は取らないと気になるけど、取ったところで食えるわけじゃない。その後、何をするかが問題だ」と。

 つまり、繰り返しになるが、博士号取得者を増やしても、彼らが訓練されて習得した「知の体力」を生かせなければ、博士号は意味を持たないってこと。知の体力は、日々アップデートされる専門知識を習得し続け、“オリジナルのサラダ”を創るのに欠かせない力だ。

 彼らの知の体力をビジネスにつなげるような戦略と、職場環境をつくらないと、企業にとっても「飯」にはつながらないのである。

企業に博士を育てる土壌を

 極論すれば、「知の体力」の準備体操レベルには到達できている修士課程を修了した人を採用し、「論文博士」になる道を企業が整えるというやり方の方がいいかもしれない。

 企業は「グローバル化の中で博士号を持った社員の力を借りないと将来がないと考える」(冒頭のコメント)のではなく、自分たちの会社の研究者が博士号を取得できる論文が書ける研究環境を整えることの方が理にかなっている。

 何でもかんでも生産性、生産性、と躍起になるのではなく、急がば回れではないけど、長期的に研究者を育てればいい。大学が「学問の府」としての力を失っている今、何でもかんでも大学に期待するよりいいかもしれないのだ。

 あくまでも私の経験による物差しでしかないが、研究者を大切にする企業は業績がいい。実に元気だ。研究者を信頼し、研究者は会社を信頼し、厳しいけど冷たくない職場環境が出来上がっている。専門職をきちんと評価し、組織内における地位も高い。ゼネラリストとスペシャリスト、両方のキャリアパスを大切にしている。