しかしながら、「認知症」という言葉をまるで病名のように使い、「予防すれば認知症にならない」というイメージを助長するような取り組みは、高齢者を逆に追い詰める。

 「迷惑をかけてしまって申し訳ない」
 「なんでこんなバカになってしまったのか」
 「一生懸命努力しているんだけどね……」
 「こんなになってしまって恥ずかしい」
 「認知症になって子に恥をかかせたくない」etc.etc.

 これらは年を取り、「今までできていたことができなくなった」高齢者が、こぼす言葉だ。

 しかも、たとえどんなに予防に積極的に取り組んでいても、「喪失体験」がつきまとう高齢者の日常では、ある出来事をきっかけに認知症になってしまうことがある。

 配偶者が亡くなったり、病気になり入院生活を余儀なくされたり。あるいは子供と同居するために引っ越しをするなど、生活環境が変化するだけでも認知機能は著しく低下する。

老いの表れ方は一様ではない

 繰り返すが認知症は「物忘れや認知機能の低下が起こり、日常生活に支障をきたしている状態」であって病気ではない。であるからして、生活環境の変化に起因する「認知症」は、時間の経過や、また、笑いや喜びのある生活によって、おしゃべりできる友人ができたり、一緒に楽しめるコミュニティができたりすると、治る。そう、治る場合があるのだ。

 ただし、「老いている」ことに変わりはないので、「ん?」と思う言動がなくなるわけじゃない。

 つまり、それが「老いる」ということ。中年期でも調子のいい時と悪い時、さえている時とさえない時があるのと同じだ。その度合いが高齢期になると強まり、環境の影響も大きくなり、個人差も目立つというだけだ。

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