くしくも、先日「社会進出をめぐる男女格差=ジェンダー・ギャップ指数」で、日本がまたもや過去最低を更新し、121位にまで転落したことが分かった。中国(106位)や韓国(108位)などアジア主要国と比べても低いのに話題にもならなかった。

 特に政治分野は壊滅的で、前年から順位を19も下げ144位だ。世界平均では下院議員の25.2%が女性、閣僚で21.2%が女性なのに、日本は参議院議員で10.1%、閣僚はたったの5.3%。恥ずかしささえ覚える少なさなのに、新聞の片隅にしか掲載されず、テレビもフラッシュニュースでさらりと取り上げる程度だった。

 世界では女性の首相や党首が普通にいるのに、日本だけは男性ばかり。企業の経営層や管理職も、どこもかしこも“真っ黒”だ。

 2019年の元日のコラムに、「女性たちに頑張ってもらわないと困ると気づいた企業が、雨後の筍(たけのこ)のように新しい芽を出し始め」、「現場の上司たちが『数合わせではなく、マジで女性に頑張ってもらわないと』と、骨身にしみて感じていると確信する機会が増え」、「2019年を、女性活躍を出発点に、『全員活躍』の元年にしていただきたいと、願うばかりだ」と書いていたので、この惨憺(さんたん)たる結果は残念極まりない。

 「今年、女性社員を育てることに有形無形の投資をするか否かで、企業の寿命が変わると予想している」という立場から考えるに、世界とは正反対の方向に進んでいる(現状維持)企業が明らかに存在しているってこと。

 「女性活躍」という錦の御旗は虚構にすぎず、教育や訓練、能力発揮の機会などへの投資もしないで、「女性たち自身が昇進を望まない」「人材がいない」「女性だからといってげたを履かせるわけにはいかない」と嘆き、その一方で「世界に勝つ」だの「競争力を高める」だの「生産性を向上させる」だのと夢を語るも、自分たちが「壁」になっていることには気がつかない。自分の絶対価値しか基準がない、残念な人たちである。