息苦しさからは解放されたが、「分断の壁」を感じたのだ。そして、その分断が明確なコラムに、たくさんのコメントが付いたと個人的には解釈している。
さまざまな意見があるのは分かる。さまざまな意見があって当たり前だし、ないのはむしろ恐ろしいことだ。
だが、自分の意に反するものは見ようともしないのだ。徹底的に否定し、人格否定も厭(いと)わない。半面、同じ意見の人とは戯れ、群れ、「ほらな!」とドヤ顔する。問題が複雑になればなるほど「個人の責任」「個人の資質」と突き放す。多様性を進めようとする人と必要はないと断言する人、相手を理解しようとする人と理解する必要はないとあきらめる人、社会の責任と考える人と個人の責任と考える人……etc.etc.。
不寛容とか、二極化というレベルをはるかに超えた分断の壁。それが明確になった1年だった。
少々大げさかもしれないけど、どちらの意見に今後日本が舵(かじ)を切るかで、日本の未来が大きく変わると案じている。
先進国のままでいられるか、いられなくなるか。「日本の常識、世界の非常識」が一層進むのではないか。特に「人権」に関する問題については、日本は今にも増して人権後進国となってしまうのではないか。……そんな危機感を覚えるほどの「分断の壁」を意識させられたのだ。
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