コメントを毎度毎度、10年以上読み続けているとその時代の社会の空気感も分かるが、例えば一昨年(2017年)は、年末のコラムで書いた通り、息苦しかった(以下、再掲)。

 「今年は……、例年よりも……、目を背けたくなるコメントが多かったのも事実。それは私に関するコメントというより、私が取り上げた事象に関するコメントで「なんでこんなに苛立っているのだろう?」「なんでこんなに安全地帯から石を投げるのだろう?」と、息苦しくなるものが確実に増えた」(「今年もコメント、全部読ませていただきました」より)。

 ところが、今年はハンドルネーム(?)がついたことで、息苦しさが取れた。

 コメントする人は大抵、継続的にしてくださるので、自然と人物像の輪郭がイメージできるようになり、「言葉」で記されない心情にもほんの少しだけ近づけたのだ。

 なんてことを書くと、「勝手にイメージするな!」と口をとがらせる人がいそうだけど。同じ匿名でも、輪郭があるのとないのとではこちらの受け止め方が変わるというリアルを体験できたのは、個人的に面白かったのでご容赦ください。

 ちなみにコメントランキングトップだった「9時10分前を理解できない若手を生んだ日本語軽視のツケ」のコメントは、「へ?」とうなずいたり、クスッとしてしまったりするものが多く楽しかった。居酒屋で一杯やってる気分になるおもろコメントや面白体験談をくださった方々、心よりありがとうございました。

 さて、問題はそれ以外のコメントである。