もっとも、漢字が書けないとか間違った漢字を使うとか、慣用句を知らないというのは、その都度学べばいいだけの話だ。問題は語彙力の乏しさからもたらされる日本語の読解力の低下だ。
個人的な話で申し訳ないが、私自身、小学校4年から中1まで米国で暮らし、その間日本語の教育を受けていないので学生時代は壊滅的に語彙力が乏しかった。不思議なことに知ってる語彙が少なくとも日常的なおしゃべりに困ることはなかった。
ところが、高校生になって現代国語の校内実力テストで、長文問題を何度読んでも理解できなかったのである。
漢字が読めないとか、読めない字があるとか、そういったことじゃない。ちゃんと音読できるのに、意味が分からない。古文でもなければ漢文でもない。ただの現代文。なのに書いてあることが、ちっとも理解できなかった。生粋の日本人なのに、なぜか日本語が理解できない。漢字が読めないことを笑われても気にならなかったけど、日本語の文章が理解できないという現実はかなりショックだった。その結果私は文章を避けた。28歳でお天気の世界に入るまで、本を一切読まなくなってしまったのだ。
会話はできても文章理解力は低かった自分
実は同様のことは米国でも経験していて、英語の本を読めても日本語に訳せない。俗っぽくいうと、フィーリングでなんとなーく理解するものの、物語が描いている世界観や言葉に込められた深層構造を理解することができなかったのである。
言語を習得するにはたくさん聞くだけじゃなく、たくさん読むことが必要不可欠で、言葉の運用力を高めるには語彙力が影響する。実際、 読書経験を重ねることで、語彙力が高まり、それが文章理解力の向上につながることは、国内外の調査から一貫して報告されている。
米国人大学生を対象にした様々な調査では、小さい頃から本をたくさん読んでいる学生ほど、スペルの間違いが少なく文章を理解する力が高いとされているし、日本人大学生を対象した調査では、新聞や雑誌ではなく小説の読書量が強く影響することもわかっている(「大学生の読書経験と文章理解力の関係」澤崎宏一)。
小説でつづられる母語の名文を繰り返し読んだ経験が、日常生活で身につく経験や情報と結びつくことで、文章を理解する力が高まっていくのである。
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