どんなに整列して待っていても「マナー」がよくない人は、電車から降りてくる人を押しのけ乗り込もうとする。私は何度もそういう人のおかげで、降りそびれそうになった。何度も「降ります!!」と声を上げた。むろん通勤電車に乗り慣れてない私が悪いのかもしれないけど。
いずれにせよ「日本には見えない鎖国がある」という日本に住む外国人の知人の言葉に、激しいショックを受けたことがあるが、やはり日本には「目に見えない鎖国」が明らかに存在するのだ。
そして、その「鎖国の壁」を作っているのが「ニッポンの人」。すなわち「私」たちそのものが、外国の人を差別している。
日本人にとって日本に住む外国人は「よそ者=集団の内部に存在する外部」であり、「一緒に働く同志」でもなければ、「一緒に生活する仲間」でもない。その不寛容さが、日本人の心の底に潜む厳しいまなざしが、外国人観光客が増えたことで表面化し、通りすがりの観光客に対してまで広がっているのである。
本来であれば、外国人が加わることが外圧となって、日本人特有の同調圧力や単一の価値観がいやおうなしに壊れていくものなのだが、逆にそれを脅威に感じ「オレたちのやり方を変えるな」と、あえて主張することで「あうんの呼吸よろしく!」的な同調を強いる空気が広がっている。
巷(ちまた)にあふれる「マナー順守」のポスターやチラシも、ある意味拡大された「同調圧力」じゃないのか。残念だし、悲しいことではあるけど、日本は冷たい国に成り下がってしまったのだ。
他者への寛容さが失われたニッポン
私ごとではあるが、子供のときに米国に住んでいた時に、アメリカ人がやたらと何でも聞いてくることに、子供ながらに驚いたことがある。
英語を私がしゃべれなくとも身ぶり手ぶりでアレコレ聞いてくる。サマーキャンプでは、「カオルはブディスト(仏教徒)か?」「食事はチキンでいいのか?」「ビーフでいいのか?」などと質問攻めだったし、知らない人でも「ハーイ」と声をかけるし、買い物をしていると「そのバッグ、どこで買った?」って聞かれたり、「あなたのその靴、すてきね」と褒められたり。コミュニケーションの取り方が、日本とはまるっきり違うのだ。
そんなマメなコミュニケーションを駆り立てているのが、「みんな違う」ってこと。
米国では「みんな違う」が前提になっているため、マメなコミュニケーションをとることで、相手を知り、自分を知ってもらい、互いに信頼感を築く努力をしていたのである。
先日、日本を愛してやまなかったドナルド・キーンさんが、生前、知人に送ったメールの文面が明らかになったと報じられた。そこにはキーンさんがこれまであまり語ってこなかった気持ちが記されていた。
「私が懸念しているのは、日本人は私がいかに日本を愛しているかを語ったときしか、耳を傾けてくれないことだ」と。
キーンさんが嘆いていたのは、他者への寛容さが失われているように見える日本人の姿だったそうだ。
さて、と。「外国人が住みたい、働きたいランキング」32位という結果を、あなたはどう捉えますか?
『他人の足を引っぱる男たち』(日本経済新聞出版社)
権力者による不祥事、職場にあふれるメンタル問題、
日本男性の孤独――すべては「会社員という病」が
原因だった?“ジジイの壁”第2弾。
・自分の仕事より、他人を落とすことばかりに熱心
・上司の顔色には敏感だが、部下の顔色には鈍感
・でも、なんでそういうヤカラが出世していくの?
そこに潜むのは、会社員の組織への過剰適応だった。
“会社員消滅時代”をあなたはどう生きる?
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この記事はシリーズ「河合薫の新・社会の輪 上司と部下の力学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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