2回目は10月1日の火曜日。免許更新のため試験場で2時間講習を受講していたときのこと。教室の中に外国の人がいたのだが、配られたテキストにも、流されるVTRにも英語表記などは一切なし。で、後半の講習が、質問に○×で答え、自分の運転の習性を知るテストだったのだが、配られた用紙もスミからスミまで日本語オンリーだった。
近くに座っていた男性がたまりかねて、「すみません。これ、外国人の人は答えられないですよ!」と手をあげたところ、教官は「いや、仕方がない」と一言。なんらフォローすることもなく、わびることもなく、外国の人に目を合わすこともなく、切って捨てたのである。
外国の人は手を挙げた男性に、「Thank you! ダイジョブ」と会釈したけど、いったいなんのための講習なのか? まったくもって意味不明だ。
日本人は「日本人が話す英語」にも厳しいけど、日本で働くあるいは暮らす「外国人の日本語」にもかなり厳しい。その厳しさといったら不可解極まりないほどだと常々感じていたけど、異国の地から言葉も文化も違うこの日本という国に来て、いろいろと苦労するであろう「外国人」に「仕方がない」の一言で終わらせるとは……あきれてしまう。
地下鉄のマナー・ポスターでは外国人が“悪者”に
そして、3回目が、水曜日(2日)に地下鉄に乗ったときのこと。座席がほどよく埋まっていたので、手すりにつかまり、座席の上に貼られたポスターが目に入った途端、脳内ライオンが暴れ出した。
ポスターの右半分には「ホームでは、順序よく並んでお待ちください」という大きな文字。上には「整列乗車のマナー」と書かれ、電車を待つ人たちのイラストが描かれていたのだが、1人だけ並ばずに立っている人がいた。
金髪の外国人。
そうなのだ。大きなキャリーバッグを持った金髪の外国人が、“マナー違反”をしている人として描かれていたのである。ふむ。いったいなぜ、列を外れている人をわざわざ「金髪の外国人」にする必要があるのか?
「別にそういうわけじゃなくって~」と言わんばかりに黒人男性を整列メンバーに入れたのも気になる。私の考えすぎ? あるいは、うがった見方をしすぎだろうか?
だが、想像してみてほしい。もし、外国に行ったときに同じようなポスターがあって、カメラをぶらさげ、歯を出して笑い、ウエストポーチを着けて、明らかに日本人を表現したとおぼしき人物が「マナー違反」をしているがごとく描かれていたら???
「自分は歓迎されてないんだ」と寂しくなるのではないか?
そもそも「マナー、マナー」とやたらと連呼するけど、これらはすべて「ルール」だ。ルールとマナーは別。ルールは誰かが決めた決まり事であるのに対し、マナーは文化的なしきたりや風習で、どちらかというと人格に近い言葉だ。
マナーのない人が多いから、ご丁寧に駅のホームに線までひき、「ここで待ってくださいね!」というルールを作った。日本では「マナー」という言葉を借りた「ルール」が山ほどある。
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