全5562文字

 ただ、残念なことに、彼らの頑張りは外からは見えにくい。彼らに注がれる世間の冷ややかで厳しいまなざしが、彼らの頑張りが表に出づらい状況を作っているように思う。

 「若手の邪魔はしたくない」という気持ちと、「周りから期待されないこと」へのやるせなさが、微妙かつ複雑に絡み合い、会社での不安定な立ち位置に悶々として空回りしているのである。

 その殻を破ることさえできれば、若手から「役立たず」と揶揄(やゆ)されることはなくなるのに、それができない。彼らの話を聞いていると「そんなに頑張っているなら、もっと自信を持てばいいのに」と思う。しかし、そこで過去の「立場」が邪魔をしてしまうのだ。

 繰り返すが、50歳以上のシニアにはどんなに若手が頑張ったところでかなわない力がある。特にバブル世代も含めたこの世代は、若いときに現場の末端を経験させられ、上司のパワハラにも耐えた「たたき上げ世代」だ。

 このときの経験こそが、未来を見通せない、過去の法則が一切役に立たない今の日本社会を打開する切り札になると私は確信している。

体を通じて蓄積した「暗黙知」が生きる時代

 ここでの「経験」とは、専門用語でいうところの「暗黙知(tacit knowledge)」だ。人間が習得する知識は、大きく2つに分けることができる。

 1つ目は、視覚または聴覚を通じて習得する知識。2つ目が自分の感覚を通じ実際に体験して習得する知識だ。前者は「情報知」と呼ばれ、後者は「経験知」または「身体知」と呼ばれている。

 例えばラジオ、テレビ、新聞、SNSなどのメディア、あるいは人から聞いた情報として知り得た知識は「情報知」。情報過多社会に生きる若い世代に、シニア世代は情報知で勝つことができない。彼らの情報網は実に多彩で、常に情報をアップデートし、中には歩く「yahoo!ニュース」のような若者もいる。

 一方、経験知(身体知)は、実際に個人が体感したことで「言葉にされていない知識」として身に付くもの。音の聞き分け方や顔の見分け方、味の違いなども経験知だし、自転車の乗り方を練習し自分で乗れるようになって体が覚えた感覚なども「経験知」である。

 このような「経験知(身体知)」の中に「暗黙知」があり、暗黙知が豊かなほど想定外の出来事にうまく対処することが可能なのだ。