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(写真: shutterstock)

 「指導死」という言葉がある。

 生徒指導をきっかけとした子供の自殺(自死)を意味し、「指導死親の会」の代表である大貫隆志さんが2007年にこの言葉を作った。大貫さんは中学2年生だった息子を、自殺で失った経験を持つ。

 息子さんは学校でお菓子を食べたという理由で、立ったままで1時間半に及ぶ叱責を教師から受けた。その翌日に命を絶ったため「行き過ぎた指導が息子を追い詰めたのではないか」と考えた。

 ところがどんなに情報を集めようにもままならない。原因を突き止めることができず、いちばんの問題は「問題が表面化しないことにある」と考え、言葉を作ったという。

 新しい言葉が生まれるのは、その言葉がよく当てはまる問題があっちこっちで起こり、それを象徴する何らかの共通ワードが求められるからにほかならない。そこにある問題を是正し、解決するために必要だからこそ必然的に生まれてくる。

 そして、“共通ワード”が生まれれば、その問題をどうにかしようと考え、対策を練ることができる。「助けて!」とSOSを出したいのに、「そこに何もない」かのごとく無視され、「仕方がない」とあきらめたり、泣き寝入りしたりしていた人たちを、共通ワードがあれば救えるようになる。

 「指導死」という言葉も、その1つなのだろう。

 ただ、現場の先生たちの苦悩を何度も聞いている身からすると、「指導死」という言葉になんとも言い難い重たさを感じてしまうのだ。

 うん。とてもとても重い。個人にのしかかる何かを。

 それでも「『指導死』親の会 公式ブログ」で「指導死」をきちんと定義していることから察するに、言葉だけが一人歩きして無用に先生が責め立てられるのは避けたい、でも、先生の指導が子供の生きる力を失わせることもある、という事実を世間に知ってもらうことで、一人でも多くの大切な命を救いたいという願いがあるのだと、個人的には解釈している。

教師の過剰な「指導」が生徒を追い詰めている

【指導死の定義】(「『指導死』親の会 公式ブログ」より抜粋)

  1. 不適切な言動や暴力等を用いた「指導」を、教員から受けたり見聞きすることによって、児童生徒が精神的に追い詰められ死に至ること。
  2. 妥当性、教育的配慮を欠く中で、教員から独断的、場当たり的な制裁が加えられ、結果として児童生徒が死に至ること。
  3. 長時間の身体の拘束や、反省や謝罪、妥当性を欠いたペナルティー等が強要され、その精神的苦痛により児童生徒が死に至ること。
  4. 「暴行罪」や「傷害罪」、児童虐待防止法での「虐待」に相当する教員の行為により、児童生徒が死に至ること。

 17年3月、福井県の池田中学校で2年生の男子生徒が転落死した際、調査委員会は「担任らから厳しい指導を受けた精神的ストレスが自殺の要因だった」との報告書を公表した。

 報告書によると、16年10月以降、担任や副担任から課題の提出や生徒会活動の準備の遅れなどで厳しい叱責を受けるようになり、校門の前で大声でどなられているのを多くの生徒が目撃。周りの人まで身震いするほどの声だったそうだ。

 副担任に宿題の遅れを叱責されたときは、土下座しようとするほど追い詰められた。

 「学校に行きたくない」と家族に訴えることもあり、自殺直前にも立て続けに強い叱責を受けていたとされている。

 ……この事例は、前述の定義に従えば「指導死」ということになるのだろう。