例えば、資料には次のように書かれている(以下、抜粋し要約)

・就職氷河期世代は、本来であれば景気回復後に適切な就職機会が得られてしかるべきだったが、当時の労働市場環境の下では難しく、不安定就労を続けている。

・この世代の人々が必要なスキルを得てキャリアアップし、正規化する仕組みをつくることは、いくつになっても充実した働き方ができる社会をつくる重要な第一歩だ。

・同世代を「人生再設計第一世代」とし、再チャレンジを支援する仕組みをつくる。

・就職氷河期世代の特性や採用側のニーズに即した就職支援や能力開発、採用企業への情報提供などを推進する。

‥ふむ。これっていったい何なのだろう? 氷河期世代をつくったのは著しく採用を控えた「企業」であり、非正規を正社員化しなかったのも「企業」の問題であり、「小泉政権の構造改革」による非正規雇用拡大により氷河期世代の問題は深刻さを増したのではないのか。

 本気で「本来であれば景気回復後に適切な就職機会が得られてしかるべきだった」と考えているなら、まずは「今、うちの会社にいる氷河期世代」に会社が投資し、「うちの会社が求める能力」を「今、うちの会社にいる氷河期世代」が習得すべく「うちの会社」が教育すればいい。

 無業状態の人についても、企業が“研修生”として雇い入れた上で、教育プログラムを受けてもらえばいい。「企業」を通じて国がすべて支援すればそれでよいではないか。

 「会社の中に居場所」ができれば、安心して企業が求める能力開発に取り組めるだろうし、自分に投資してくれた企業が「正社員」として受け入れてくれれば、今まで不遇な扱いを受けてきただけに、「よし、もうひと踏ん張りしてみよう!」と彼らも最後の力を振り絞り一生懸命働くことが期待できるはずだ。

 そうなのだ。「就職氷河期世代」と簡単に呼ぶけど、たまたま時代が悪かったというだけで、最初の就職のみならず、その後も「不遇」につきまとわれた。まるで泥沼に入り込んだように人生を翻弄され続けている世代だ。

 私だってあと5年生まれるのが遅かったら「今の私」とは違う「私」になっていたはず。たまたま運がよかった。詭弁(きべん)に思われてしまうかもしれないけど、バブル世代の私は正直申し訳ないと思っているのである。

 念のため断っておくが、私は何も国が教育を支援することに反対しているわけではない。

 人材不足と嘆く前に「目の前の人材」を生かす手立てを講じるべきだし、それを国がサポートすることには大賛成である。

 だが「提言書」に書かれているのは、「氷河期世代支援策」という名の企業支援策。企業の勝手な都合で厳しい状況に置かれたのに、企業ががんばるのではなく、厳しい状況に追い込まれた人たちに「がんばれ!」と。

「企業が求めるスキルが習得できるプログラムをつくるので、正社員になりたい人はそれを受けてね。そしたら、多分正社員で採用してもらえるから」と、採用される側の個人の問題にすり替えているのである。

 そもそも「能力開発」だの「この世代の人々が必要なスキルを得てキャリアアップ」だの、まるで氷河期世代の非正規の人の能力が低いような表現が散見されるが、何を根拠にそう断じているのか。

 実は冒頭の日経新聞の記事が炎上した数日後、一般企業や役所に勤める中間管理職の人たちとちょっとした会合があり、そこでもこの記事が話題になったのだが、“現場の声”はSNS上の怒りとは少々違うものだった。