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コミュニケーションは「受け手」次第という“不条理”

 一応サイトには、「掲載する情報には充分に注意を払っていますが、その内容について保証するものではありません」という但し書きがあり、監修した専門家・黒川伊保子氏の名前も併記したが、怒るのが仕事になってるご時世、いや失礼、「批判の共有が容易な今のご時世」では、受け入れてもらえなかったということなのだろう。

 ……というか、おそらく私がこうやって書いただけで、「オマエは夫婦関係に真剣に悩んでる人たちの気持ちがわからんのか!」だの、「アンタはいつも差別するな~だの、男も女も違いはないだの言ってるじゃないか! なのにグリコのことは責めないのか!」だの、批判スイッチがオンになった人もいるに違いない。

 なので、ここまで書きながらも「このネタやめといたほうがよかったかも」と若干怯んでいる。

 でも、もう書き始めてしまったので批判を恐れずに言わせてもらうと、「まぁ、そんなに怒らずにさ、笑い飛ばせばいいのに」というのが率直な見解である。

 ふむ。ひょっとして「翻訳」ではなく、「解釈」くらいにとどめておけば良かったのだろうか。あるいは「ママの言葉」ではなく、「パパの言葉」を翻訳したら、「ウケる~~」と好意的に受け入れてもらえたのかも、などと思ったりもする。

 黒川氏の過去の著書には「男性のトリセツ」なる章があり、
・「そのバッグいつ買ったの?」と聞かれたら、「前からあったじゃん」で事なきを得る
・目的と任務さえ押さえてあげれば、男性脳は応用が利く
・不満があったら、率直に言えばいい
・会話を「なんでわかってくれないの?」から始めないのがコツ
といった具合に、案外役立つかもしれないことも記されている。

 まぁ、これでも批判する人は批判するのだろうけど、数年前に「イケメンに職場活性効果アリ」というアンケート結果が公表されたときにはたいした問題にはならなかった。イケメンを美人に置き換えて男性を対象にアンケートしたら「セクハラ」と大バッシングされるだろうに、良い意味でも悪い意味でも、世の中が「女性オリエンティッド」であるのはまぎれもない事実なのである。

 いずれにせよ、男女間に限らず、「コミュニケーション」は永遠のテーマ。

 自分の言いたいこと、思っていることを、相手に100%伝えることなどそもそも不可能だ。コミュニケーションを「言葉のキャッチボール」と例えるように、その主導権は「伝え手」ではなく「受け手(キャッチ)」にある。発せられた言葉が持つ意味は、その言葉を受けとった人に、ある種「勝手に」決められてしまうからだ。

 同じ“言語”を使っていても気持ちや意図が伝わらない場合は往々にしてあるし、「コンテクスト(文脈)」=「前後の話の流れの中で、どういう位置づけでその言葉を発しているか」によっても、言葉に込めた意味は変わる。

 であるからして、言葉の「字面」や「断片」を追いながら「伝え手」を一方的に批判することは、「コミュニケーション」の視点から捉えれば、あまりよろしきことではない。相手の伝え方がちょっと稚拙なだけだったり、自分の受け方に誤解や偏りがあったりする可能性も、ゼロとは言えないからだ。

 コミュニケーションは、アクションを起こす「伝え手」ではなく「受け手」に主導権があり、うまくいくもいかないも、かなりの部分が「受け手」次第というのがいかにも“不条理”。グリコさんの肩を持つわけではないけれど、炎上したコンテンツの裏には、「その不条理さに苦しむパパやママたちを、ちょっとだけでも助けたい」という思いがあったのではないか。

 確かに、コンテンツの内容に女性蔑視的な視点が感じられるという批判については、うなずける部分はある。ただ、基本的な「コンテクスト」は、パパとママに仲良くやってほしい――という思いだ。それに、現実的には、サイトで紹介されたやり取りでうまくいく場合も少なからずありそうな気がする。であれば、そんなに怒らなくても……と感じるわけで。「世界平和でいこうぜ!」などと思ってしまうのだ。