明確なビジョンという非現実的な「神話」

 一般的には、人生の転機を成功させるには明確なビジョンややりたいことが必要不可欠と言われるけど、個人的にはこれは、非現実的な「神話」に近いと考えている。

 大野くんが「具体的に何がしたいか、僕の中で決まっていることはない」と語ったように、曖昧なのが普通なのだ。

 また、「今の環境を全て断ち切る=自由」でもない。

 大野くんが「事務所をやめるのではなく、お休み」というカタチに落ち着いたように、自分の大切な人たちの声に耳を傾ける。それは「共同体の中にいる自分」という視点を失わないことでもある。

 そして、「縛られているものを一度取り払って、その時に自分が何を思って何をするのかにも興味がある」と大野くんが話したように、「新たな一歩=嵐の活動休止」に踏み出すことで「自由探しの旅」がスタートする。

 旅を続ける中で、自分と向き合い、「自分が何を望んでいるのか?」が次第に明確になる。

 つまるところ「自由」とは、自分を縛っていた世間の価値が「自分にとって価値あるものなのか?」を自問していくことであり、その答えが出たときに初めて到達できる境地なのだ。

 おそらくその旅は想像以上に長く、道のりは決して一直線でもなければ、瞬間移動できるものでもない。螺旋階段をぐるぐる回るようなものかもしれない。

 そして、「最高の自由」は人生の後半戦にならないと手に入らないと、個人的には確信している。

 「若いときは自由」とか、「若い頃は可能性が無限大に広がっている」とか考えがちだが、30年近く仕事をしていると、「ん? それってウソだよ!」と思うことがある。

 以前、言語学者の金田一秀穂先生と対談させていただいたときに、「赤ちゃんは天才っていうでしょ? あんなの嘘。大人がそう思いたいだけ」と失笑していたけれど、それと同じじゃないか、と。

 だって、40代や50代の方が20代より明らかに世界や世間に関する知識は豊富だし、理不尽と予想外の連続の人生を経験してる方が、しぶとさも出る。人生の「武器」が増えているのだから、明らかに可能性は広がっているはずなのだ。一方、多かれ少なかれ、“オトナたち”の決めたレールを歩かざるを得ない若い頃の方が、よほど縛りが多いと思えてならない。

 もちろん、年を重ねれば体力や記憶力に不安を覚えるようになったりはするけれど、世間のルールや世間の眼差しに縛られない「心」を持つことさえできれば、可能性も自由も無限大に広がっていく。

 なんてことを書きつつ、私も「自由探しの旅」を続けようと思っています。

まずは会員登録(無料)

有料会員限定記事を月3本まで閲覧できるなど、
有料会員の一部サービスを利用できます。

※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

※有料登録手続きをしない限り、無料で一部サービスを利用し続けられます。

この記事はシリーズ「河合薫の新・社会の輪 上司と部下の力学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。