キャリアプラトーへの対処法は「転職」に限らない

 一方、20年あまりを会社という組織の一員として仕事をする中で、他のチームメンバーとの協働に喜びを感じることもあれば、1人で仕事を切り盛りすることに快感を覚えることもある。他者より「上」を好む性癖を持つ人間にとって、自分よりパフォーマンスが劣るメンバーに足を引っ張られたり、そのメンバーをカバーするのに自分の限られた労力を割くのは、無駄だと感じるようになったりもする。

 ところがヒエラルキー型の組織とは実に皮肉で。脂が乗った頃に現場仕事から管理へ、プレイヤーから中途半端なプレイングマネジャーへの移行を強いられる。自分の快感より、“組織の論理”というマジックワードに従う仕事が増えていくのだ。さらに、本人の意思にかかわらず「ラインから外れる」人も出始める。

 このタイミングでしっかり自分を見つめ直し、新たなスタートを切れれば、「キャリアプラトー 」という高原状態に陥らずに人生後半戦の職業人生を充実させられる可能性が格段に高まる。

 キャリアプラトーは、キャリア研究において「中期キャリアの危機」の説明に使われる言葉。自分が求める仕事が与えられない、昇進・昇格が望めないといった状況に直面した際に、モチベーションの低下などに陥る状態を指す。

 年功序列が当たり前だった時代は会社が次のステージを準備してくれたので、キャリアの“高原”で干上がらずに済んだ。だが、今のように、40代でラインから外されてしまったり、50過ぎで役職定年などにより一斉に線引きされてしまったりすると、自力で高原から抜け出せなかった人は、退屈な日々を送るうちに次第に頭も体も動かすのをやめ、「現状維持こそが最善の策」と盲信するようになる。これがいわゆる「会社にしがみつくおじさん」の典型である。

 人生の後半戦で、周りにやっかいもの扱いされたくなければ「新たなスタート」を切るしかないのだ。

 ただ、勘違いしないでほしいのは、「新たなスタート=転職」とは限らないってこと。

 もちろん新天地でスタートできれば理想だ。新たな環境の下、日常をともに過ごす人が変わるのは刺激的だし、これまで自分が気づかなかった「自分」に出会えたり、自分が知らないことがたくさんあると痛感することで、マズローが呼ぶところの「成長動機」にスムーズに移行できる。

 だが、転職や異動もせず、同じ職場に居続ける場合であっても、主役から脇役になり、表舞台から一歩引いて縁の下の力持ちとして働くことに意味を見いだせれば、エリクソンの「ジェネラティビティー」(次世代の価値を生み出す行為に積極的にかかわっていくこと)を体現でき、人間的に成熟する。

 転職が「大きな変化」なら、転職せず役割を変えることは「小さな変化」。大小に関係なく、自分の意思で一歩踏み出しさえすれば、すべての人の内面に宿る「自分の真価を開花させたい」という欲求が刺激され、人格的成長のスイッチがオンになる。

 すると、「もっと知りたい」「もっとやりたい」と“本当”の自分と向き合うことが可能になり、人生の後半戦が有意義な時間になっていくのだ。

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