将来不安の「曖昧性」が呼び起こす中高年の不安

 では、まず最初に、嵐の記者会見での「大野くん」のコメントが実に「生きた」言葉だったので、印象的だったものをいくつか紹介する(要約抜粋)。

「具体的に何がしたいか、僕の中で決まっていることはないんですけど、自由な生活というのはもちろん、この世界を一度離れてみて、今まで見たことのない景色だったりを見てみたいなと。具体的に、何かやりたいっていうことはないんですけど」

「『活動を終えたい』とメンバーに報告したときは、自分の中で『事務所を辞めなくてはけじめがつかない』と思っていましたが、メンバーや事務所の方々と話す中で、お休みということでいいのではないかと、話し合いのもとでそういう形になりました」

「(こういう思いになった)きっかけは、正直ない。3年くらい前から思いが芽生えてどんどん強くなっていったというのが現状というか」

「何も気にせず絵を描いたり、縛られているものを一度取り払って、その時に自分が何を思って何をするのかにも興味があります」

 ……「自由な生活」「けじめ」「どんどん強くなる」「縛られるもの」「自分が何をするか」……。

 どれもこれも「大野くん」だからこその言葉であると共に、私自身が、人生のターニングポイントに差し掛かった人たちから聞かされてきた言葉でもある。

 たまたま彼は芸能界の人だったわけだけど、長年、同じ会社で働き続けたり、同じ仕事を続けてきたりした普通のビジネスパーソンであっても、「自分は井の中の蛙ではないか?」という思いに駆られることはあるはずだ。

「自分の市場価値はいかほどなのか?」
「この会社は自分にふさわしいのだろうか?」
「この仕事が自分の仕事のすべてなのだろうか?」
などなど、とめどもない不安に襲われるのだ。

 一見、こういった自問は、具体的な問いに思える、だが、自問の背景にある不安という感情は、常に曖昧性を伴っている。

 恐怖は「必ず危険が訪れる」と予想したときに生じる情動であるのに対し、不安は「危険が必ず来るかどうかわからない」時に生起し、人間にとってこの曖昧性こそが我慢できない。具体的であれば対処戦略を考えられるが、曖昧であるがゆえに、そのときの気分や状況次第で「なんとかなりそう」に思えることもあれば、堪え難いこともある。

 つまり、恐怖より不安の方が「心の重し」になってしまうのだ。

 とりわけ、いわゆるエリートで、勤務先が大企業であればあるほど、社会的地位が高ければ高いほど、稼ぎが多ければ多いほど、「安泰」という2文字を無意識に求める思考が骨の髄まで染み込んでいるので、息苦しい。将来不安の曖昧性は、自分が認識する以上に不快なのだ。

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