石塚:そうすると、自分が普段から「どう考えてもこれが正しい」という原点を持っていなきゃいけないと思うんです。そして、小田嶋さんは本当に個人として「出るところに出て」いたわけですよね。言いたいことを言うために、炎上することも当然覚悟の上で。
そうですね、実名を出して。
石塚:僕なんかは企業人だから、会社にある面、守られているんですよね。守られている中でやっていて、しかも個人名は出ない。小田嶋さんの場合、体を張っているからこれはすごいなと。
小田嶋さんは平気な顔をしていらしたけれど、やっぱり精神的に相当お辛かったのではないかと。自分自身、担当していた頃は、毎朝、コメント欄を開けるのが嫌でたまりませんでしたから、ましてやご本人は。
石塚:そうですよね。
サッカーの監督と選手の関係
石塚:小田嶋さんは日経ビジネスの連載ではめったに書かなかったけれど、サッカーファンだったんですよね。
浦和レッズファンでしたね。サッカーとボクシングはお好きでした。
石塚:僕がサッカーのファンになり始めたのは1974年の西ドイツ(現ドイツ)のワールドカップで。決勝戦を生中継で見て、西ドイツ対オランダの。ヨハン・クライフ(オランダのサッカー選手・指導者)が体現した「トータルフットボール」というのをご存じですか。
ポジションを固定して考えないで、全員攻撃、全員守備もあり得る、みたいな考え方でしたっけ。
石塚:そうですそうです。
これは石塚さん、小田嶋さんと話が合いそうですね。
石塚:組織のマネジメントも、結構サッカーの監督のつもりでやっていたんですよ。
野球じゃなくて、サッカーですか。
石塚:サッカーのポジショニングを仕事の役割として当てはめて、あいつはフォワード型だ、あいつはディフェンスだ、バランスが取れているとミッドフィルダー、ボランチでパスを供給する役割は誰に、みたいなのを考えて。フォワード型の人間ばかり集めると、攻めばかりに集中して品質がおろそかになったり、ディフェンシブな人ばかり集めるとチャレンジしなかったり、なので。
おお、なるほど。
石塚:選手間の相性もありますよね。「こいつらは仲が悪いからパスを出さない」とか、結構社内にもあるじゃないですか。能力に加えて、適材適所の組み合わせがあるので。だからスーパーサブ(実力があるが、あえて最初はベンチに置く選手)みたいな存在も考えながらやっていて。
とはいえ、サッカーは試合が始まってしまえば選手に任せるしかない。と、小田嶋さんが書いていましたが。
石塚:その辺もサッカーが好きなところです。日本人ってもともと野球が好きですよね。決めごとがちゃんとあってポジションが決まっていて、監督がいちいち、一球一球サインを出してやるみたいな文化。サッカーは選手が自律的にやらないといけないんですね。ピッチに出たら監督はほぼ何もできない。でも、いろいろ考えても結果がすべてなんですよ。だからサッカーの監督は本当に大変だなと思います。小田嶋さんはハリルホジッチのことも書いていましたよね。
はい、2018年ワールドカップのコロンビア戦を題材にした回ですね。大迫勇也選手の体を張ったプレーがPKにつながり、先取点をもぎ取った。彼は最後にセットプレーから決勝ゴールも勝ち取っています。
われわれが暮らしているこの国のこの社会は、個々の人間が自分のアタマで独自に思考すること自体を事実上禁じられている場所でもあるのだ。
冗談ではない。私の喜びは私の喜びだが、私の祝福はなによりもまず選手たちに向けられている。そして、私の中にある感謝の気持ちの一番大きい部分は、はるか遠いヨーロッパの空の下にいるハリルホジッチ監督に向けられている。
というのも、在任中の2年余りの間、選手たちに一貫して「縦に速いサッカー」を求めたハリルホジッチ監督が、後ろからのパスに強いワントップのストライカーとして最も重用したのが、大迫選手だったからだ。
(2018年6月22日掲載「ハリルホジッチ氏を忘れる勿れ」)
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